『大日本史料』 12編 2 慶長九年三月~同十年二月 p.58

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く下知すへきは、東照宮にましたるはなし、しからすハ、利家か我なるへ, し、兵の道をしり、國を治むへきものならては、朝鮮の者歸服すへからす、, を出すに、大將を擇ふはいにしへの法なり、我國の兵朝鮮に入、大軍をよ, 陣し、しは〳〵東照宮の御陣營にいたりて拜〓す、のち太閤朝鮮征伐の, ため、肥前國名護屋に在陣すへしとて、かの地に城を築かしむ、如水これ, 小西行長、加藤清正かことき、勇ありといへとも、威勢を爭ふのみにして、, 賞討を節制す、歸朝のゝち、關白秀次に、渡海せむことをすゝむといへと, とりことす、このとし、太閤、如水に命し朝鮮に渡り、諸將へ軍令をつたへ, を繩張して地形を定む、文祿元年、太閤名護屋に下向し、東照宮、およひ前, しむ、二年、また如水に旗をさつけられ、淺野幸長とゝもに渡海し、諸軍の, 東郡のうち千九百石餘の地を加増あり、慶長二年、ふたゝひ朝鮮に發向, も、秀次きかす、後つゐに滅亡す、人其智慮を感せり、四年八月二十一日、揖, かの國の人民、皆うたかひを生して逃れさり、其地治ることあらしと、ひ, 田利家と、日夜軍事をせらる、ときに如水座を隔てゝこれをきゝ、大軍, し、慶尚道梁山城にありて、屡明兵と相戰ひ三年にいたりて歸朝す、四年, 慶長九年三月二十日, 如水名護, 如水ト征, 屋ノ城ヲ, 繩張リス, 韓役, 如水秀次, ニ渡海ヲ, 勸ム, 五八

頭注

  • 如水名護
  • 如水ト征
  • 屋ノ城ヲ
  • 繩張リス
  • 韓役
  • 如水秀次
  • ニ渡海ヲ
  • 勸ム

ノンブル

  • 五八

注記 (25)

  • 1204,723,59,2131く下知すへきは、東照宮にましたるはなし、しからすハ、利家か我なるへ
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