『大日本史料』 12編 2 慶長九年三月~同十年二月 p.444

Loading…

要素

頭注ノンブル

OCR テキスト

か女、, て勝利を得たり、このとき當座の賞として、御手つから、長谷部國重の御, 三年五月、長篠の戰に供奉し、首級を獲たり、十二年、長久手の役に、みつか, 郡のうちにして、三千五十石をたまふ、文祿元年、大番の頭となり、この年, 脇差をたまはり、そのゝち三河國吉川、鹽澤、鳥原、竹輪、曾津川の五邑をた, 年、關東御入國のゝち、釆地をあらためて、武藏國比企、埼玉下總國匝瑳三, ら決戰し、首三級を獲家臣富田又十郎、鳥原十藏、各首一級を獲たり、十八, 朝鮮陣のとき、肥前國名護屋にしたかひたてまつる、慶長十一年七月十, 三年、三方原の役にしたかひたてまつり、十二月二十二日の夜、敵を襲ひ, 七日死す、年五十四、法名淨空、釆地比企郡上唐子村の淨空院に葬る、これ、, まふ、慶長九年七月二十六日死す、年八十四、法名淨幽, 照宮、駿河國田中城を攻たまふとき、鷺坂彦九郎某とゝもに先登す、天正, 定吉母は某氏、元龜三年十二月三方原の役にしたかひたてまつり、後東, 定吉かかつて開基せるところなり、後代々葬地とす、妻き小栗又市忠政, 略譜〕菅沼源姓土岐之庶流、頼光より頼員まで十四代、三州額田郡菅, 慶長九年七月二十六日, 開基, 定吉ノ采, 菅沼氏累, 代ノ墓地, 淨空院ノ, 地, 役ニ於ケ, ル定氏ノ, 三方原ノ, 勳功, 四四四

頭注

  • 開基
  • 定吉ノ采
  • 菅沼氏累
  • 代ノ墓地
  • 淨空院ノ
  • 役ニ於ケ
  • ル定氏ノ
  • 三方原ノ
  • 勳功

ノンブル

  • 四四四

注記 (27)

  • 311,735,50,128か女、
  • 1717,718,63,2134て勝利を得たり、このとき當座の賞として、御手つから、長谷部國重の御
  • 1132,719,62,2127三年五月、長篠の戰に供奉し、首級を獲たり、十二年、長久手の役に、みつか
  • 780,718,62,2139郡のうちにして、三千五十石をたまふ、文祿元年、大番の頭となり、この年
  • 1600,718,61,2130脇差をたまはり、そのゝち三河國吉川、鹽澤、鳥原、竹輪、曾津川の五邑をた
  • 896,723,65,2134年、關東御入國のゝち、釆地をあらためて、武藏國比企、埼玉下總國匝瑳三
  • 1014,724,62,2129ら決戰し、首三級を獲家臣富田又十郎、鳥原十藏、各首一級を獲たり、十八
  • 660,720,62,2138朝鮮陣のとき、肥前國名護屋にしたかひたてまつる、慶長十一年七月十
  • 1834,718,59,2127三年、三方原の役にしたかひたてまつり、十二月二十二日の夜、敵を襲ひ
  • 542,725,63,2148七日死す、年五十四、法名淨空、釆地比企郡上唐子村の淨空院に葬る、これ、
  • 1483,721,59,1569まふ、慶長九年七月二十六日死す、年八十四、法名淨幽
  • 1249,717,62,2138照宮、駿河國田中城を攻たまふとき、鷺坂彦九郎某とゝもに先登す、天正
  • 1363,647,64,2213定吉母は某氏、元龜三年十二月三方原の役にしたかひたてまつり、後東
  • 424,723,66,2138定吉かかつて開基せるところなり、後代々葬地とす、妻き小栗又市忠政
  • 167,629,93,2235略譜〕菅沼源姓土岐之庶流、頼光より頼員まで十四代、三州額田郡菅
  • 1949,716,44,424慶長九年七月二十六日
  • 512,290,43,83開基
  • 921,287,44,169定吉ノ采
  • 452,289,42,173菅沼氏累
  • 406,290,45,172代ノ墓地
  • 556,287,42,167淨空院ノ
  • 877,287,43,41
  • 1838,284,42,161役ニ於ケ
  • 1793,291,40,157ル定氏ノ
  • 1884,287,39,159三方原ノ
  • 1749,283,42,83勳功
  • 1952,2441,44,121四四四

類似アイテム