『大日本史料』 12編 3 慶長十年三月~同十一年三月 p.192

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と、如何にも輕少且粗末にて、卿の碑石とも覺えかたし、, て、其疉みし石は、取り去られて片割れもなし、然るに、其頂上二三尺の間の, けん尋ぬるに由なし、, りしか、古老の口碑にき、卿の墳墓なりと傳ふと、因てそを目的に登ること, り、農夫の指すを見れは、只見る一面の枝圃中に、小高き跡を認むるのみに, み、僅に空地を存せるは、心なき村民も、全く鋤返すに忍ひすやありけん、聞, を杖て立てるあり、語けて曰、元此丘上に、唐戸と稱して石を疉みし小祠あ, けは其石室の中より、磁製の水瓶等を發見せしといへと、それさへ何地行, 數十歩、爰き元善福寺の後苑にして、境域に屬する所、今き渾て山畑と成れ, 細かに檢すれとも、一も文字を見す、無銘なりとき風土記にて見し所なれ, 織田秀信, 時に農夫の鋤, 家康、秀忠ノ僮僕等諍鬪シテ、死傷アリ、, 〔參考〕, 〔古押譜, 城介信忠子、, 正三位權中納言, ○中, 平氏, ○下, 略, 略, 二, 慶長十年五月八日, 一九二

割注

  • 城介信忠子、
  • 正三位權中納言
  • ○中
  • 平氏
  • ○下

図版

  • 慶長十年五月八日

  • 一九二

注記 (25)

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