『大日本史料』 12編 4 慶長十一年四月~同十二年七月 p.260

Loading…

要素

頭注ノンブル

OCR テキスト

四郎信一、石川日向守家成等をして攻しめたまふ、このとを、廣正、敵兵鵜, 眞の臣糟屋善兵衞某、小原藤五郎某かこもれる、三河國長澤城を、松平勘, 川權藏某と組て、遂にこれをうちとる、その餘敵をうつこと若干なり、六, き、廣正、鳥居四郎左衞門忠廣等と鎗をあはせ軍功あり、四年七月、今川氏, 仰を蒙り、廣正恩命をにたへて、御摩下に屬せしむ、元龜元年六月二十八, めさせたまふところの御馬、鐵砲にあたりて斃る、これにより、廣正か乘, 二十二日、三方原合戰のとき、したかひたてまつり、御退陣のとき、東照宮, 數多の敵を追うちし、前場の首に釆幣をそへてたてまつる、三年十二月, 赦免ありて、三河國上野にをいてまみえたてまつる、のち本多彌八郎正, 年、一向門徒の亂に、逆徒に與して、御勘氣をかうぬるといへとも、つゐに, 日、姉川合戰のとを、朝倉家の兵前場新八郎某、同新九郎某を討取、その餘, 信、かつて御勘氣かうぬり、加賀國にあるのところ、召かへさるへしとの, ところの馬をたてまつり、事故なく濱松城にいらせたまふ、このときに, 殿してこれと戰ひ、れか中に容貌魁偉にして、大力の名ある大隈入道, あたりて、武田信玄の近臣法師武者六人、御跡をしたひ來るにより、廣正, 慶長十一年七月二十六日, 三方原合, 二與ス, 於ケル働, 働キ, 向一揆, 姉川役ニ, 勘氣赦免, ニ於ケル, 長澤城攻, 戰ニ從軍, 〓, 二六〇

頭注

  • 三方原合
  • 二與ス
  • 於ケル働
  • 働キ
  • 向一揆
  • 姉川役ニ
  • 勘氣赦免
  • ニ於ケル
  • 長澤城攻
  • 戰ニ從軍

ノンブル

  • 二六〇

注記 (28)

  • 1594,728,79,2149四郎信一、石川日向守家成等をして攻しめたまふ、このとを、廣正、敵兵鵜
  • 1712,723,78,2153眞の臣糟屋善兵衞某、小原藤五郎某かこもれる、三河國長澤城を、松平勘
  • 1482,721,77,2151川權藏某と組て、遂にこれをうちとる、その餘敵をうつこと若干なり、六
  • 1831,727,77,2146き、廣正、鳥居四郎左衞門忠廣等と鎗をあはせ軍功あり、四年七月、今川氏
  • 1019,720,68,2141仰を蒙り、廣正恩命をにたへて、御摩下に屬せしむ、元龜元年六月二十八
  • 550,726,65,2137めさせたまふところの御馬、鐵砲にあたりて斃る、これにより、廣正か乘
  • 665,723,70,2139二十二日、三方原合戰のとき、したかひたてまつり、御退陣のとき、東照宮
  • 784,713,70,2151數多の敵を追うちし、前場の首に釆幣をそへてたてまつる、三年十二月
  • 1251,716,73,2152赦免ありて、三河國上野にをいてまみえたてまつる、のち本多彌八郎正
  • 1371,723,69,2145年、一向門徒の亂に、逆徒に與して、御勘氣をかうぬるといへとも、つゐに
  • 904,720,65,2142日、姉川合戰のとを、朝倉家の兵前場新八郎某、同新九郎某を討取、その餘
  • 1139,720,66,2139信、かつて御勘氣かうぬり、加賀國にあるのところ、召かへさるへしとの
  • 436,722,62,2133ところの馬をたてまつり、事故なく濱松城にいらせたまふ、このときに
  • 200,711,68,2144殿してこれと戰ひ、れか中に容貌魁偉にして、大力の名ある大隈入道
  • 318,717,64,2137あたりて、武田信玄の近臣法師武者六人、御跡をしたひ來るにより、廣正
  • 1964,725,44,470慶長十一年七月二十六日
  • 710,285,40,167三方原合
  • 1372,298,38,106二與ス
  • 899,283,45,172於ケル働
  • 1561,286,42,80働キ
  • 1412,308,43,147向一揆
  • 945,284,42,163姉川役ニ
  • 1282,284,42,169勘氣赦免
  • 1606,294,40,157ニ於ケル
  • 1647,286,44,173長澤城攻
  • 665,279,42,174戰ニ從軍
  • 866,286,30,34
  • 1951,2463,44,117二六〇

類似アイテム