『大日本史料』 12編 4 慶長十一年四月~同十二年七月 p.265

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けらる、, 介と改、其後與力同心御預、三州にて知人多者に付、然へき侍召抱へきの旨, にて、三十四人、九介肝煎を以召出され、其後御出頭人となり、歴歴の衆を預, た台旗をかへされ、眞田昌幸か籠れる信濃國上田城を攻たまふにより, 申せし時、本多彌八郎と申合、加州へ越し、彌八郎き加州に止り、七郎右衞門, 右衞門忠世、仰を傳て拜〓し、直に御側近召仕はれ、大久保と名差合に付、九, り呼寄、御奉公勤させしに、後は同役となり、御用向連判す、敍爵筑後守と稱, をかうぬり、父か〓地千六百石をたまひ、且城邊の地三千石、をよひ歩卒, し、本多は佐渡守と稱、廣正御家人となり、五人十人のうちに撰はれ、走迴せ, 三十人のうち二十人、また父廣正か支配をるとこ海の歩卒五十人を預, らる、本多彌八郎と懇意をもよく御存にて、召出さるへき上意に付、加州よ, は、本國三河に立歸在しに、日來御覺之者に付、召出さるへき旨、大久保七郎, 供奉す、十年仰によりて布衣を著す、十一年忍城を守衞すへきのむね仰, したかひたてまつり、宇都宮にいたな、このとき、羅紗の羽織をたまふ、ま, 〔略譜〕タ高木廣正東照宮岡崎御在城の時、廣正いまた七郎右衞門と, 判ヲ勤ム, 二仕フ, 御用向連, テ忍城ヲ, 廣正家康, 守衞ス, 父ニ代リ, 慶長十一年七月二十六日, 二六五

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  • 判ヲ勤ム
  • 二仕フ
  • 御用向連
  • テ忍城ヲ
  • 廣正家康
  • 守衞ス
  • 父ニ代リ

  • 慶長十一年七月二十六日

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  • 二六五

注記 (24)

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