『大日本史料』 12編 4 慶長十一年四月~同十二年七月 p.272

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悔てもかへらす、貞節感するに餘りありとて、よろこひ候、妻ははや白裝束, をかたつけ、心靜に御生害候へと申遣し候、肥後やかて奧に入、今迄の誤り, か死骸は、米田家より葬送いたし候、, にて髮をさはき、廣蓋に白き明衣、白き帶、白襁を乘せ、肥後か前に出し候へ, 和なる某なれ共、御免しあらは、一所に相果申るし、左もなくは、討手を待、門, 以下、家人共に切て出、強く働て不殘討死いたし候、石見鑓をひねつて進寄, 吉左衞門と並居る處に、河喜多石見、人數を引具し來り候間、岩徳、吉左衞門, は、肥後も共に支度して、妻を差殺し、其身も切腹いたし候、藏人介錯して、早, る、豐前は得物の長刀を提け、玄關より出るに、門番周章うろたゆる所を、夫, や來り、門の戸を敲けとも一人も不入と答ふ、其時吉左衞門申候は、常々不, 討手を待所に、豐前か聟麻生吉左衞門、日頃は不和なりしか、此事を聞ては, 前か次男飯河岩徳、今年十四歳なるか、前髮と振袖を切捨、たすきをかけて、, 外にて切死すへしと呼わるを、豐前聞て、奇特に來られ候とて内に入る、豐, 娘は幾重にも可奉頼とて、使に渡し遣候、早々奧に御通り候て、自らか死骸, 速此旨申上候へは、忠興君被聞召、肥後か妻の貞心を御感被成候、肥後夫婦, 豐前方にも、取籠て, 院海印妙照、○中略, 肥後つ妻、法名瑞光, 宗信ノ切, 節ニ死ス, 宗信ノ妻, ノ節義, 飯河宗祐, 腹, ノ智麻生, 宗祐ノ討, 吉左衞門, 死, 慶長十一年七月二十七日, 二七二

割注

  • 院海印妙照、○中略
  • 肥後つ妻、法名瑞光

頭注

  • 宗信ノ切
  • 節ニ死ス
  • 宗信ノ妻
  • ノ節義
  • 飯河宗祐
  • ノ智麻生
  • 宗祐ノ討
  • 吉左衞門

  • 慶長十一年七月二十七日

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  • 二七二

注記 (30)

  • 1606,638,59,2222悔てもかへらす、貞節感するに餘りありとて、よろこひ候、妻ははや白裝束
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