『大日本史料』 12編 4 慶長十一年四月~同十二年七月 p.316

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油を賣者御先を遮りしかは、かれうてとて、御刀をさつけたまふ、吉次、や, まつる、後太閤より豐臣氏、をよひ諱字をあたへらる、十八年放鷹のとき、, 千石を領し、騎士二十五人を附屬せらる、吉次衰老の後も御伽の列にあ, 十月三日、從五位下隱岐守に敍任す、是年近侍の臣の内を撰ひて、〓とす, 戸一揆のとき、岩手澤まて扈從し、文祿元年肥前國名護屋に至らせたま, 年豐臣太閤と御和睦ありて、大坂に赴かせたまふのとき、したかひたて, あり、九月十日、武藏國足立郡の内にをいて、〓地五千石を賜ふ、十九年九, ふのときもしたかひたてまつる、後御傍に勤仕し、奏者を勤む、慶長四年, ま行て倒れしにより、其御刀を油賣となつけたまふ、後是を吉次に恩賜, ひたてまつる、七年美濃國の内にをいて七千石を加へられ、都て一萬二, 養子とす、五年上杉景勝を征したまふのとき供奉し、九月關原の役に從, り、そのゝち、召に應して御家人に列す、十二年長久手の役に供奉し、十四, かて追かけ是を斬て兩斷となすといへとも、二三歩はかりか程は、其ま, りて、しは〳〵營に登る、是よりさき、吉次、室の姪を養て弟とす、是西尾忠, へきむね仰を蒙り、酒井河内守重忠か三男主水忠永をもつて壻とし、後, 慶長十一年八月二十六日, 養子忠永, 三一六

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