『大日本史料』 12編 4 慶長十一年四月~同十二年七月 p.330

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きみもおもへ我もしのはんたひ衣きつゝなれにしことかたるまて, て人に非を入れられす、己と堅固なりし、今治部死し、其上御所樣御懇、佐竹, ニ從ヒ、コノ月ニ收ム、, ○藤原肅ノ紀伊ニ赴キシ月日詳カナラズ、今本書ニ餞別ノコトアル, みやこにもまつとしきろはいてさのみ紀のせきもりよ人なとゝめそ園子, 島津に異ならず、是に依て、氣ゆるんで病氣却て生ず、賢人の語、少も相違な, しきや、けふよりあをきまなこも、たれをか見ましや、あちきなしや、, 釋後に、紀伊守殿云れけるは、我れ石田治部と間惡し、治部存生の内は、勵ん, しと云はれしとそ、, 惺窩、淺野紀伊守にて、孟子一段を講釋す、生於憂患、而死於安樂と云段也、講, 書四書奧書外題等染筆遣之、, 〔參考〕, 〔慶長日件録〕二十月八日、晴、古〓處ヘ行、聖徳太子憲法遣之、淺ノ紀州、七, 丹波、小畑孫市、城和泉守なり、, 〔老人雜話〕惺窩翁に、儒道の事少聞たる人は、細川越中守、淺野釆女正、曾我, 田三成, 惺窩幸長, 孟子ヲ講, メニ四書, ル人々, 惺窩ニ教, 外題ヲシ, 等ノ奥書, ヲ受ケタ, ノタメニ, 幸長ノ爲, 舟橋秀賢, 幸長ト石, ルス, ズ, 慶長十一年八月是月, 三三〇

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  • 田三成
  • 惺窩幸長
  • 孟子ヲ講
  • メニ四書
  • ル人々
  • 惺窩ニ教
  • 外題ヲシ
  • 等ノ奥書
  • ヲ受ケタ
  • ノタメニ
  • 幸長ノ爲
  • 舟橋秀賢
  • 幸長ト石
  • ルス

  • 慶長十一年八月是月

ノンブル

  • 三三〇

注記 (32)

  • 1708,717,58,1851きみもおもへ我もしのはんたひ衣きつゝなれにしことかたるまて
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