『大日本史料』 12編 4 慶長十一年四月~同十二年七月 p.380

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

と御尋也、かんどり承て, 此舟とも武藏の國に山なく候へは、舟路の行, 數限リモナシ、然ハ、御城門ヨリ大名屋敷、町屋寺社ヘ掛テ、大分ノ地形ノ樣, 子ナレト、田畑ノ廣マリ候事十雙倍ナリ、如此ノ損徳迄、賢慮ニモルヽ儀一, モナク、當時天下ノ貴賤入ツトヒテモ、何ニ一色事ノ闕ル儀モ無之、諸用タ, 衞はいさしら波の、尾花の末に見え候こそ、江戸にて候へと申、君聞召、實々, リ候ヘハ、萬民居住仕リ安シ、右百年以前關東御入國ノ砌ノ、江戸ノ樣子承, の湊御見物有へしとて、能見堂にしはらく御やすらひ、, 此湊より御舟, ヤノミ生シ武藏野モ、上々ノ畑ニ開キ立、新タニ百姓ノ家居トナリシ村里、, モ愚也, リ傳ヘ考見候ヘハ、今如此ノ都ト罷ナル樣子ニハ不被存、然ルニ、茅野蘆原, ノ時ニ、後々末々迄繁昌ノ地タルヘキト、御下墨被遊大神君ノ御賢慮、奉感, にめされ、江戸へ御渡海也、見渡せる四方の山々、扨江戸の山手はいつくぞ, 今源家康公、東西の逆徒を悉討亡し、武州江戸におはします、, それはさそあらん, 〔見聞軍抄〕六武藏に石山つき給ふ事、, 夫海路を渡る舟、荒き波風にあふといへ共、夜るの, 武州金澤, ○中, ○中, ○中, ○中, 略, 略, 略, 略, 田畑ノ新, 開, 慶長十一年九月二十三日, 三八〇

割注

  • ○中

頭注

  • 田畑ノ新

  • 慶長十一年九月二十三日

ノンブル

  • 三八〇

注記 (31)

  • 424,657,60,703と御尋也、かんどり承て
  • 410,1510,64,1358此舟とも武藏の國に山なく候へは、舟路の行
  • 1693,660,83,2221數限リモナシ、然ハ、御城門ヨリ大名屋敷、町屋寺社ヘ掛テ、大分ノ地形ノ樣
  • 1580,656,79,2201子ナレト、田畑ノ廣マリ候事十雙倍ナリ、如此ノ損徳迄、賢慮ニモルヽ儀一
  • 1463,672,78,2193モナク、當時天下ノ貴賤入ツトヒテモ、何ニ一色事ノ闕ル儀モ無之、諸用タ
  • 293,650,74,2209衞はいさしら波の、尾花の末に見え候こそ、江戸にて候へと申、君聞召、實々
  • 1345,665,78,2207リ候ヘハ、萬民居住仕リ安シ、右百年以前關東御入國ノ砌ノ、江戸ノ樣子承
  • 651,659,67,1645の湊御見物有へしとて、能見堂にしはらく御やすらひ、
  • 642,2455,57,415此湊より御舟
  • 1813,666,80,2222ヤノミ生シ武藏野モ、上々ノ畑ニ開キ立、新タニ百姓ノ家居トナリシ村里、
  • 1019,668,52,191モ愚也
  • 1227,663,81,2211リ傳ヘ考見候ヘハ、今如此ノ都ト罷ナル樣子ニハ不被存、然ルニ、茅野蘆原
  • 1113,666,77,2208ノ時ニ、後々末々迄繁昌ノ地タルヘキト、御下墨被遊大神君ノ御賢慮、奉感
  • 529,663,70,2203にめされ、江戸へ御渡海也、見渡せる四方の山々、扨江戸の山手はいつくぞ
  • 764,650,74,1799今源家康公、東西の逆徒を悉討亡し、武州江戸におはします、
  • 193,657,51,550それはさそあらん
  • 876,604,101,1272〔見聞軍抄〕六武藏に石山つき給ふ事、
  • 177,1370,62,1490夫海路を渡る舟、荒き波風にあふといへ共、夜るの
  • 761,2601,55,270武州金澤
  • 450,1380,41,111○中
  • 792,2462,39,112○中
  • 675,2320,41,109○中
  • 213,1232,41,112○中
  • 407,1379,38,38
  • 631,2317,41,39
  • 747,2462,38,41
  • 170,1233,41,37
  • 1635,294,42,171田畑ノ新
  • 1594,293,42,44
  • 1952,730,46,468慶長十一年九月二十三日
  • 1936,2464,38,117三八〇

類似アイテム