『大日本史料』 8編 18 文明18年正月~同年8月 p.766

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に似たり、釣舟の蘆邊に浮ひたる、歸帆を寫と疑ふへし、西湖の十景も及, ふへからす、此城の餘りにめてたけれはとて、五山より詩を贈る、略〓不, 松原〓ゝき海近く富士の高根を軒端にそみる、其時從上御褒美とし, 記之、見る人聞者賞嘆するに堪たり、資長公今年二十五歳迄數多の城を, の金屏に映るは、千秋の窓に雪を含、寶塔の林間より見たるは、遠寺の盡, 就し々り、峻宇樓臺は雲を凌き、松風の簾を動す、聞は萬歳とひゝき、白峰, て御詠歌、武藏野は高萱のみと思ひしにかゝる言葉の花や咲らむ、, 上方へ道灌公御登、公方へ拜〓被成候節、江戸の風景御尋こ付、我庵は, と詠給ふより、此矢藏を富士見の亭と號すと云々、, 一康正二年之頃、道灌公いまた入道不被成候て、太田備中守持資公と申候, 外附史ニアリ, 取しに、是に勝たるはなしとて、矢藏に揚り四方を眺て、一首の歌に、, 懷しめて政直也、資長公武州江戸城を築し、寔に繋昌堅固の地境也、萬甲, を、上杉定正公之家老として、父道眞公と共に家を治め、道を行ひ、諸人を, 我庵は松原遠く海近く富士の高根を軒端にそ見る, 文明十八年七月二十六日, 七六六

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注記 (17)

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