『大日本史料』 5編 14 仁治3年正月~同年7月 p.415

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銘して、深く大願を發し、心中に誓て此趣を守き、, てはなけれとも、かつ〳〵まつ道のしるへとなれるもあはれなり、もろこしの召公〓は、, 甸の一千餘里をみわたしたらんこゝちして、草土ともに蒼茫たり、月の夜の望いかなら, かたへ多くさりゆつりて、我方の地をは少くせし也、たかひにかやうにゆつりあひて、, 我田地を人のかたへやらんとはせしかとも、かりにも人の分をかすめ取事はなかりき、, 他國より訴訟のため都へのほる人、此周の國をとほるとて、此有樣を道の畔にて見て、, しも、只一人の無欲に依て也、剩此徳充て天下を一統にして、八百の祚を持き、されは, んと床しくおほゆ、茂れるさゝ原の中に、あまたふみわけたる道ありて、行末もまよひぬ, し故に、萬人皆かゝるやさしき心になりし也、くろを讓ると云は、我田の堺をは、人の, 我欲の深き事を恥、路より歸にけり、此文王我國を治のみならす、他國まて徳を及玉ひ, 周の武王の弟也、成王の三公として、燕と云國をつかさとりき、欧のにしのかたを治し, 大守一人の小欲に成給はゝ、一天下の人皆かゝるへしと云々、此教訓を承しに、心肝に, へきに、古武藏の前司、道のたよりの輩に仰て、植をかれたる柳も、いまた陰とたむのま, く思事也、傳聞、周文王の時、一國の民くろをゆつりしも、たゝ文王一人の徳國土に及, 〔東關紀行〕ほむの川原にうち出たれは、よもの望かすかにして、山なく岡なし、秦, 泰時, 柳ノ並木, 泰時三河, 本野原ニ, ヲ植ウ, 仁治三年六月十五日, 四一五

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  • 柳ノ並木
  • 泰時三河
  • 本野原ニ
  • ヲ植ウ

  • 仁治三年六月十五日

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  • 四一五

注記 (22)

  • 930,592,60,1277銘して、深く大願を發し、心中に誓て此趣を守き、
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