『大日本史料』 12編 4 慶長十一年四月~同十二年七月 p.733

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室は、織田家の臣牛田庄右衞門行正か女、, 卒公民を殺すのよしを訴ふ、本多正信, 康宗母は行正か女、東照宮につつへたてまつり、天正十八年、豐臣太閤小, 家傳に、慶長十二年、修築の用にあてむために、山林の竹木をきらしめ、, のむねを言上し、三月九日、興國寺城を去て相模國に至り、小田原の西, り、〓見して平安を賀す、太閤、久國の脇指をあたふ、これより小田原にい, 卒を出へきのよしをいはしむ、康景おもへらく、盜のために彼等を殺, すへき理なし、われ其罪にあたりて、こゝをさらむにはしかしとて、そ, してまもらしむ、一夜人おほく來り、彼竹木をとらむとす、輕卒等捕へ, 城外に積をくのところ、夜ことにこれを盜むものあり、よりて輕卒を, 田原に發向のとき、駿河國清見寺に宿す、康宗、御使にさゝれて旅館に至, むとすといへとも、多勢なれは及ひかたく、終に三人を打殺す、しかる, 念寺に蟄居すといふ, かの農民を殺せし輕, りて、小田原の西念寺に蟄居す、十八年二月二十四日死す、年七十七、, に、このもの御料の農民たるにより、御代官井手志摩守正次、康景か輕, ○正純, 誤ナラン, 康宗, 蟄居, 慶長十二年三月九日, 七三三

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  • ○正純
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  • 康宗
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  • 慶長十二年三月九日

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注記 (22)

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