『大日本史料』 12編 4 慶長十一年四月~同十二年七月 p.846

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合に罷成候、先月廿八日、尾州薩摩守にも死去被致、又候哉私まて御先立可, 申儀、不及是非仕合に奉存候、御暇乞のため、局を以申上候との御口上なり, に御座候哉、答て曰、慶長十一年の春の頃より、少々御不快に御坐被成に, お佐の局を駿河へ被遣、被仰上候は、私儀病氣さし重り、養生相叶かたき仕, 念に思召候、今度の御病氣御快然の御祝義と思召候間、御加増として、近江, 權現樣被聞召、御愁傷不斜して被仰出候は、秀康公の御事は、同し御子樣方, 付、白山の御入湯なと被遊、よほと御快然の樣に御坐候處に、翌年の春に至, の中にも、度々御忠功も有之候處に、越前一國計を進し置れ候事、今更御殘, 下野の内、兩所にて都合百萬石に被成被進候由、御書出を帶し、局儀急き〓, 問て曰、秀康公には、いまた御年若にて御逝去被遊候樣に及承候、彌其通り, り、御氣色御差重り被成、御自身にも、今度は御快氣被成ましきと思召候哉, 候と也、右ケ樣の儀なとを以、世以制外の御家と申にても可有之候哉, 殺されさるは大なる仕合なりと有上意にて事濟、重て何の御咎も無御座, 前へ可罷歸旨被仰渡に付、即刻御前を罷立、早乘物にて罷歸候處に、岡崎の, 城助役ノ事ニ係カル, 撲ノコトヨリ、駿府築, 略、相, ○中, ノ駿府行, 出ノ傳ヘ, お佐の局, 百萬石書, 慶長十二年閏四月八日, 八四六

割注

  • 城助役ノ事ニ係カル
  • 撲ノコトヨリ、駿府築
  • 略、相
  • ○中

頭注

  • ノ駿府行
  • 出ノ傳ヘ
  • お佐の局
  • 百萬石書

  • 慶長十二年閏四月八日

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  • 八四六

注記 (24)

  • 901,675,69,2209合に罷成候、先月廿八日、尾州薩摩守にも死去被致、又候哉私まて御先立可
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