『大日本史料』 12編 5 慶長十二年八月~同十三年十二月 p.271

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心つくしの船の上、浦々瀬戸々々心を付て上り給ふ、源平の爭ひし古き跡, 雙の名を得、代々の詩歌にも、此山をせうして讀しもことわりと打なかめ, 年なれはさたかならす、このたびよく打なかめましまして、けにも三國無, 遣す、時に十一歳なり、其後天下の諸大名の妻を、江戸へ引取へきと御こと, れを休うてをはします内に、王城の東南西北殘る所ろなく詠め給ひて下, 有之、國々より皆引取時に、父隱岐守定勝、伏見の城主たるに依て、豐州より, り給ふ、伊勢尾張の海をこえ、三河に至り、此國は我先祖の國なれは、名もな, つかしく思ひとりて、駿河の國に至り富士山を詠め、昔みし時はいまた幼, 父也、若名をまん姫といふて四歳なり、其後家康公中川修理大夫の無二の, おはしませは、遠江の國に至り給ふ、是こそ我か立出し親の國なれは、山も, を尋ね、須磨明石の浦さひしきあはれを詠めて、伏見に至り、永の船路の勞, 遠州掛川の城主となり、則光顯院殿の, 心入を感し玉ひて、子息内膳正久盛に我婬を嫁せんとの玉ひて、則豐後へ, し、東照宮の仰により、松平隱岐守定勝か女を娶る, 岐守定勝、御凱陣, 第三女光顯院事蹟家康公の御連枝松平隱, 翌年, 〔松山叢談〕1宗源公, 原役、, ○關ケ, ○定, ○慶長, 下略, 六年、, ○上, 勝, 夫人ヲ江, 戸ニ移ス, 慶長十二年是歳, 二七一

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  • 原役、
  • ○關ケ
  • ○定
  • ○慶長
  • 下略
  • 六年、
  • ○上

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  • 夫人ヲ江
  • 戸ニ移ス

  • 慶長十二年是歳

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  • 二七一

注記 (30)

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