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島村の産なり, るに、十一月, 働言語道斷なり、年二十、, 和泉守正倫、内府, らは、味方大捷の後、中村家の再興懇願する所なりと達しけれは、内府、武士, を以て家督の許容なし、正倫此度士卒を管して粉骨碎身し、功を立る事あ, り歸城有りしに、疾俄に劇しくして、醫藥を進むる間もあらす、侍者僅に一, 強て漁獵を催され、霖雨の頃、度々城外に出られけるか、五月十一日、又外よ, 京都に至り、其夏歸國有て身體例ならす、治療を進むれとも其驗も無きに、, へきに、然らさる故は、難波戰記に、慶長十九年十一月、中村一忠の家人矢野, 議を發して是を訴へす、遂に家絶に及ふ、後關東に達すと云へとも、時去る, 五十騎を附せらるゝ由見へたり、此の趣にて知られたり、彼の妾き久米郡, 二人周章する中、小性垂井勘解由等に倚て伺ふに、既に事終れり、上下の悲, 妾腹の子誕生あり、臣下これを補佐して一跡を立つ, に訴へて曰く、舊主一忠卒して妾腹の子有り、家人等異, 融源心大居士と諡す、, 十二日感應寺に葬る、導師は日長上人なり、青龍院一, 當年中村氏斷絶す、然, 其遺腹の子を携へて本, にて、今年二十歳なり, は天正十八年の誕生, 感應寺筆, 一年自筆の棟札に、寅年中村伯〓守と記せり、然れ, 廿一歳とするは誤なり、感應寺日長上人の慶長十, 記に因る, 鳥取中村氏口碑に據る、感應寺筆記, に、汗入郡逢坂郷とするは誤なり、, )中略、小性垂井、服部二人殉死, ノコト二係ル、下二見エタリ、, 頼, 秀, 興ノコト, 中村氏再, ヲ秀頼ニ, 請フトノ, 矢野正倫, 中村玄蕃, 説, 慶長十四年五月十一日, 三四三
割注
- にて、今年二十歳なり
- は天正十八年の誕生
- 感應寺筆
- 一年自筆の棟札に、寅年中村伯〓守と記せり、然れ
- 廿一歳とするは誤なり、感應寺日長上人の慶長十
- 記に因る
- 鳥取中村氏口碑に據る、感應寺筆記
- に、汗入郡逢坂郷とするは誤なり、
- )中略、小性垂井、服部二人殉死
- ノコト二係ル、下二見エタリ、
- 頼
- 秀
頭注
- 興ノコト
- 中村氏再
- ヲ秀頼ニ
- 請フトノ
- 矢野正倫
- 中村玄蕃
- 説
柱
- 慶長十四年五月十一日
ノンブル
- 三四三
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