『大日本史料』 12編 6 慶長十四年正月~同十五年二月 p.348

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テ卒ス、同月十三日、垂井勘解由、服部若狹殉死, 梅〓常薫居士と號す、一忠の墓の左右に葬る、又靈室に君臣三人の像あり、, いつとても先をかけんと思ひしにおくれはせこそ悲しかりたれ, 由今年廿歳、若狹十六歳なり、勘解由は大法院善林常佐居士、若狹は立行院, 青龍院殿一融源心大居士ト云、慶長十四年五月十一日、于時齡二十歳ニシ, かねてより思ひ定めし道なれは君諸共にゆくそうれしき, いかにも止むへきに、無慚なる事哉、いかに見遁しつるそとて、大に叱られ, 二人各依藤氏に書を遺せりと云へり、後堀尾吉晴、依藤を招き、兩人か殉死, 嬉しやな二世と契りし手枕にまとろむひまの蓮の上露, やかて肌押〓き、迭に聲を掛て腹を切れは、介錯後より首を落す、惜哉、勘解, 院ハ其先駿州ニアリ、, 中村伯耆守一忠尸ヲ當院ニ葬リ、廟牌ヲ建、法名, 伯耆守魂屋、院中後ノ山ニアリ、中伯耆守、左右ニ勘解由若狹、殉死ノ時、各繪, 服部若狹邦友, 常住山感應寺ト稱ス、當, けるとなり、吉晴き一忠の叔母壻なりと云へ, 慶長十四年五月十一日, 〔伯耆民談記〕, 感應寺、, ○中略、二人ノ法號、及ビ, 三十石、法花宗、, 辭世ノ歌ヲ載セタリ、, ○注文, ○中, 米子城下、山領, 略ス、, 略, 三, 神社佛閣, 感應〓, 三四八

割注

  • ○中略、二人ノ法號、及ビ
  • 三十石、法花宗、
  • 辭世ノ歌ヲ載セタリ、
  • ○注文
  • ○中
  • 米子城下、山領
  • 略ス、
  • 神社佛閣

頭注

  • 感應〓

ノンブル

  • 三四八

注記 (31)

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