『大日本史料』 12編 7 慶長十五年閏二月~同十六年三月 p.69

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上杉御征伐のときしたかひたてまつり、下野國小山に至る、ときに石田, の軍列をさため、一正き蜂須賀家政、脇坂安治とゝもに、第七の備にあり、, 八月諸將とおなしく御駕にさきたちて發向し、美濃國岐阜の城攻に、黒, 田長政、藤堂高虎、田中吉政等とおなしく、せめよするのところ、岐阜の後, 詰として、美濃國大垣より敵兵數多郷戸川の邊に出張す、一正等むかへ, り、これを援て奮戰し、あまたの敵を討とり、又南京の城を抜、五年東照宮, 二月二十一日、漢南の大軍、淺野左京大夫幸長か守れる蔚山を圍むによ, よしを關東に告たてまつる、こはれよりさき、井伊直政、本多忠勝より、岐阜, 祿元年父とおなしく、二千二百の兵を率ゐて朝鮮に渡る、慶長二年朝鮮, 三成等逆謀を企るのよしつけあるにより、また上方に御旗をむけらる、, に攻よするのむね飛札をたてまつりしかは、二十五日、一正をよひ高虎, たゝかひ、大にこれを破る、岐阜落城にをよひしかは、使をはせて、ことの, 織田右府に屬し、天正五年二月、紀伊國雜賀に發向のとき、叔父市左衞門, 某とおなしく、出陣して武名を顯す、十九年從五位下讚岐守に敍任す、文, 一正母は左吉某, か養女、弘治元年土田邑, 慶長十五年三月十八日, に生る、父とゝもに, 可兒郡, 木, ○美濃, ○高, 朝鮮ノ役, 岐阜城攻, 二オケル, ニ於ケル, 一正, 一正, 蹟, 一正ノ事, 六九

割注

  • 可兒郡
  • ○美濃
  • ○高

頭注

  • 朝鮮ノ役
  • 岐阜城攻
  • 二オケル
  • ニ於ケル
  • 一正
  • 一正ノ事

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  • 六九

注記 (31)

  • 1154,717,61,2150上杉御征伐のときしたかひたてまつり、下野國小山に至る、ときに石田
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