『大日本史料』 12編 7 慶長十五年閏二月~同十六年三月 p.154

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に葬る、, にいたり、台徳院殿に拜〓す、, とき、康光の御刀をたまふ, 繼しめたまふ、久倍か子孫は宗家の臣たり、, 巨濟の陣中にをいて卒す、年二十九、天宗慈雲と號す、, 年、丹波國篠山の普請をうけたまはりて京師におもむき、四月九日伏見, むね台命ありといへとも、久倍固辭するにより、忠興をして以久か後を, 水を知行せしむ、以久卒するに及ひて、久倍をして其遺領を繼しむへき, にをいて卒す、年六十一、照譽崇恕高月院と號す、京師四條寺町の大雲院, 十三, 久倍祖父以久佐土原にうつるのとき、久倍をとゝめて、其釆地大隅國垂, 年八月二十日、駿府城の普請を助けしにより、賞譽の御書を下さる、十五, 其のち駿府におもむき、東照宮にまみへたてまつり、また江戸, 忠興母は松木氏、慶長四年、大隅國種子島に生る、十五年五月二日、遺領を, 彰久母は北郷氏、永禄十年、大隅國溝水に生る、文祿四年七月五日、朝鮮國, 家譜〕右馬頭島津以久、本姓は源、藤原姓を冒ス、薩摩國守島津忠, 繼, 島津, ), 月ノコトニ係ル、其本條アリ、參看スベシ, 佐土, ○康光ノ刀ヲ賜ハリシコトハ、十一年三, 二歳、, 時に十, 原, 時, 冒ス, 久倍遺領, 藤原姓ヲ, ヲ叔父忠, 忠興, 興ニ讓ル, 久倍, 彰久, 慶長十五年四月九日, 一五四

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  • 月ノコトニ係ル、其本條アリ、參看スベシ
  • 佐土
  • ○康光ノ刀ヲ賜ハリシコトハ、十一年三
  • 二歳、
  • 時に十

頭注

  • 冒ス
  • 久倍遺領
  • 藤原姓ヲ
  • ヲ叔父忠
  • 忠興
  • 興ニ讓ル
  • 久倍
  • 彰久

  • 慶長十五年四月九日

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  • 一五四

注記 (36)

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