Loading…
要素
頭注ノンブル
OCR テキスト
ては志をつくし、御齡かたむきぬれは、御賢子と共に貴賤の崇敬なゝめな, 葬禮は、同十八日午の上刻と定りけれは、國中はいふまてもなく、遠境の寺, の術をつくせとも、さらに其甲斐なし、終に南呂中の十日、朝の露と共に消, 院老若男女、袖をつらねて入來る事引もきらす、宇佐の御許のみ、御神の恐, おはりぬ、嗚呼哀哉、觀花忽に春つきて、命葉零やすき秋一時來事を、老少も, 世のおしみあへる、申も愚成へし、されとも、御身に取ては不足なし、危に臨, ありとて除給ふ、御館より東にあたりて、野かみか原とて、方八町ばつり廣, 小倉の城下なるへしとの御遺訓なれはとて、いそき迎の船よそひ有、結縁, の貴僧百五十餘人、都より招請あり、九月十三日、豐の小くらに著給ひぬ、御, らす、七十七年の春秋をたのしみ給へは、思召をつるゝ事もなし御葬禮は, とより常境なし、おくれさきたつ習なれは、今更なけくへきにもあらねと、, は豐州小倉に住給ひぬ、慶長十四の秋上京あり、かくて翌年の夏の頃より, 授、御門前馬の立あへる隙もなし、是そ誠に文武二道の名將なるへき、近年, の御僧紫野玉甫和尚、南禪寺慶安和尚、天龍寺、相國寺、建仁寺出世七人、其外, 何となく惱給ひけるか、次第ニおもく成ぬ、良醫藥の袋をふるひ給は、祕法, リ葬儀ヲ, 小倉城下, 遣言二ヨ, 葬儀ノ状, 二行フ, 況, 慶長十五年八月二十日, 四八三
頭注
- リ葬儀ヲ
- 小倉城下
- 遣言二ヨ
- 葬儀ノ状
- 二行フ
- 況
柱
- 慶長十五年八月二十日
ノンブル
- 四八三
注記 (23)
- 1089,623,60,2225ては志をつくし、御齡かたむきぬれは、御賢子と共に貴賤の崇敬なゝめな
- 501,616,60,2233葬禮は、同十八日午の上刻と定りけれは、國中はいふまてもなく、遠境の寺
- 1553,630,67,2231の術をつくせとも、さらに其甲斐なし、終に南呂中の十日、朝の露と共に消
- 383,616,60,2234院老若男女、袖をつらねて入來る事引もきらす、宇佐の御許のみ、御神の恐
- 1437,634,64,2220おはりぬ、嗚呼哀哉、觀花忽に春つきて、命葉零やすき秋一時來事を、老少も
- 1204,619,62,2235世のおしみあへる、申も愚成へし、されとも、御身に取ては不足なし、危に臨
- 266,620,59,2226ありとて除給ふ、御館より東にあたりて、野かみか原とて、方八町ばつり廣
- 854,622,64,2234小倉の城下なるへしとの御遺訓なれはとて、いそき迎の船よそひ有、結縁
- 619,626,62,2223の貴僧百五十餘人、都より招請あり、九月十三日、豐の小くらに著給ひぬ、御
- 968,628,64,2225らす、七十七年の春秋をたのしみ給へは、思召をつるゝ事もなし御葬禮は
- 1321,631,62,2236とより常境なし、おくれさきたつ習なれは、今更なけくへきにもあらねと、
- 1792,636,62,2224は豐州小倉に住給ひぬ、慶長十四の秋上京あり、かくて翌年の夏の頃より
- 1909,622,64,2237授、御門前馬の立あへる隙もなし、是そ誠に文武二道の名將なるへき、近年
- 737,630,61,2221の御僧紫野玉甫和尚、南禪寺慶安和尚、天龍寺、相國寺、建仁寺出世七人、其外
- 1669,623,67,2242何となく惱給ひけるか、次第ニおもく成ぬ、良醫藥の袋をふるひ給は、祕法
- 890,253,42,165リ葬儀ヲ
- 844,248,44,175小倉城下
- 934,249,39,165遣言二ヨ
- 299,245,45,174葬儀ノ状
- 804,260,36,110二行フ
- 257,248,38,39況
- 167,684,42,432慶長十五年八月二十日
- 163,2432,44,122四八三







