『大日本史料』 12編 7 慶長十五年閏二月~同十六年三月 p.518

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ちがひ有といひたてたるわる口也、抑此光源院殿は惡御所にて、刀にくろ, なき間にも、青龍寺より切々出張し御味方を申されき、上京亂の時は、昌山, 丹波路より死にのほられしと、路次にて行ちかはれし兄弟の剛臆千里の, 守殿は、丸か父と朋友ゆへ、其御父の宗松あづけ物の中に、やふれたる反古, 御てがら樣々見え侍りき、亦藤孝公のとり給し感状數通有之を、今吉田に, 分たりしを、此人計をさやうに申せしは、玉に瑕を求るかことし、細川丹波, き反古をまき、闇夜に辻切なとをあそはされし、其まゝ置申たらは、天下の, 御腹めされし時、藤孝公はともにしなすして、丹波路へ趣れしに、水淵殿は, おはします及齋老持給へりと云々、又、この比まておはせし公方樣昌山公, いくらも有しを見侍しに、方〳〵にての合戰の事を書たる状に、藤孝公の, 仕へき了見なし、其時しなさる人、藤孝公一人にかきらす、御奉公衆何も其, りをして、俄に多勢を以て御所をとりまき、御腹めさせけるにより、誰加勢, さはりと成給はん事を三吉家おそれて、松永彈正少弼久秀、清水詣てのふ, 公の御謀叛道にあらすと思ひて、公方をそむきて、信長公に與力し給ふ、〓, の本國寺にたて籠り給ひし時も、三人衆にはつかず、信長公御上洛, ○足利, 義昭、, 慶長十五年八月二十日, 五一八

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  • ○足利
  • 義昭、

  • 慶長十五年八月二十日

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  • 五一八

注記 (19)

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