『大日本史料』 12編 8 慶長十六年三月~同年十月 p.339

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同十九日、到岐阜, 打りらひ、即時大枋をうち立たまふ, 下、御刀一腰拜領す, か嶽近邊に御著陣被成、夜のあくるを待かね、木の本を、またほのくらきに、, 久馬玄蕃允、大軍を以て責候よし申せしかは、秀吉公、あしをたう〳〵ぬみ, 之契約を變せられ、瀧川、柴田と被仰合、敵の色を立らるゝよし、註進あるに, 於江北、柴田修理亮勝家出張之旨、註進あるによつて、秀吉公、勢州表之仕置, より、城主佐治降人となりたるそ、諸軍ひきとり候へと觸たれは、立かへり、, 御邊つきたをされ候上は、首は取候へといひすでゝ、さきへのりいる、あと, よつて、秀吉公、卯月十七日、早天に、江州長濱出馬あつて、濃州大枋に著陣し、, おもてにつきぬきしを、虎之助被申けるは、一番につきしは我なり、然とも, ならし、柴田一類、こと〳〵く誅伐の時、今にあたれり、是天の御めくみ成と, 秀吉公御前へまいられ、先勢のはたらき、委敷言上有處へ、隼人罷出、おいの, 被仰付、龜山の城より江北さして御出馬、然處に、織田三七信孝、秀吉と和睦, 十三郎、虎之助働、一々申上けれは、十三郎、虎之助兩人共に被召出、感状を被, 程なくしつ, 廿日午の刻、飛脚到來し、志津嶽中川瀬兵衞か要害、佐, ○中略、清正、馬疾ミ、徒歩一, テ進軍スルコト二カヽリ, ○中略、感状, ヲ載セタリ、, ○中, 略, 志津嶽合, 戰, 慶長十六年六月二十四日, 三三九

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  • ○中略、清正、馬疾ミ、徒歩一
  • テ進軍スルコト二カヽリ
  • ○中略、感状
  • ヲ載セタリ、
  • ○中

頭注

  • 志津嶽合

  • 慶長十六年六月二十四日

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  • 三三九

注記 (27)

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