『大日本史料』 12編 8 慶長十六年三月~同年十月 p.453

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比なる故、貴賤上下の老若男女、鼠戸の前に市をなし、押合〳〵見物したり、, はるゝが、第一能分別にて有へきと宣へば、老臣共、御意尤とぞ感じける、其, を打て見物し、地下町人は、八木を持來て、鼠戸の口より入て、芝居にて是を, 又其後、京都に又市と云者の、抱をきたる遊女に、兵助、長介と云て、其比名を, ば、努々二心なきことなれば、彌御心安く思召樣に、正宗かごとく、帶紐をと, の事なれば、世間の者もうたがはしく思ひ、家康公も、自然き、心元なく思召, 見る、此國か歌舞妓の始なりければ、西國方の者は、聞をよひたる事もなき, の世たる故、忘て年月を送と聞ば、はや氣づかひの仁にては、毛頭なきとい, いて、老身を慰、遊人と成、世間の沙汰にも、清正は年寄たれば、武の道は、泰平, 國の主となり、殊に常陸介殿を聟に仰付らるゝ事、旁以當家の御恩深けれ, 事も有べきが、さりながら、我は家康公の厚恩に、忘がたき事有、加之、肥後一, 能をいたし、其能の跡に歌舞妓をして、家來の諸侍は、銀子一枚宛出し、棧敷, 比、八幡の國と云やゝこを下し、熊本の鹽屋町三町めの武者溜りにて、勸進, 又西國にては、清正などは、秀吉公の御取立といひ、其上、秀頼公、大坂御在城, もひ、歌舞遊興のみにて日月を暮せは、心元なき事なしと思召るゝと也、今, 舞妓張行, 清正ノ歌, ノ趣旨, 女歌舞妓, 國, 慶長十六年六月二十四日, 四五三

頭注

  • 舞妓張行
  • 清正ノ歌
  • ノ趣旨
  • 女歌舞妓

  • 慶長十六年六月二十四日

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  • 四五三

注記 (22)

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