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に敍し, 城を領してけり, 侍ると云ひしにぞ、人々皆一同に組みしてける、, が猶子伊賀守勝豐が家の老なり、, きて秀吉に心を通す、天正十一年四月、勝豐病甚しく、醫療を加へんとて、お, 陣に馳せ加る、志津か嶽の合戰敗れて後、勝家終に亡びにけり、石見守、この, のが守る本山の要害を去て都に登る、石見守等、勝豐が軍勢引具し、秀吉の, の末座より進み出て、人その數にはあらねども、入道も、正則の議に同じく, 島左衞門大夫正則、最初に御方に組し參らす可きよし申すにぞ、入道遙か, 軍起りぬと聞えて、東國下向の大名、悉く徳川殿小山の御陣に馳せ集り、福, 慶長五年の秋、徳川殿に隨て奧に向ふ、上方の, に使として、味方に與みすべきよしを云ひ送らる、勝豐、頓て養父勝家に背, からず、羽柴、柴田の軍起るに及で、秀吉、石見守等を召て、其主人伊賀守が許, 後秀吉の御家人になされ、入道のゝち、式部卿法印になされ、美濃國松木の, 勝家、勝豐、年ころ其間快, 徳永石見入道壽昌は、初め越前の守護柴田修理亮勝家, れて東照宮につかへたてまつり、御傍に近侍す、十四年十二月、從五位下, 藩翰譜, 勝豐は、勝家が甥, 二萬石、又、三, ○下略、高巣城ヲ陷井ルコ, にて養子たり、, 萬石とも云, ○下, ニ、及ビ卒去ノコトニ係ル, 十二, 略, 下, ニ勸メテ, 秀吉ニ通, 壽昌勝豐, ゼシム, 慶長十六年七月十日, 五二一
割注
- 勝豐は、勝家が甥
- 二萬石、又、三
- ○下略、高巣城ヲ陷井ルコ
- にて養子たり、
- 萬石とも云
- ○下
- ニ、及ビ卒去ノコトニ係ル
- 十二
- 略
- 下
頭注
- ニ勸メテ
- 秀吉ニ通
- 壽昌勝豐
- ゼシム
柱
- 慶長十六年七月十日
ノンブル
- 五二一
注記 (34)
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