Loading…
要素
割注頭注ノンブル
OCR テキスト
于時寛文八年十一月廿日, る人なりしかば、一豐常に親みて、家の事大小となく、此人と謀る、上方の軍, 二月下旬、御舍弟匠作公御入國、明る正月に一豐公御入國也、, きて一豐進み出て、堀尾が云ひし樣に申す、堀尾、山内打連れて歸る時、今日, 人質をば吉田の城に入れて、自らは先陣して軍せんと思ふといふ、一豐此, 義尤も然るべしと、同じく打連て參り、福島味方に參るべしと云ひしに、續, は一豐日頃の律儀に相違しければ、忠氏いふべき言葉もなかりしとて、堀, 天正二年に、小田原御開陣之節、直に遠江國掛川六萬石にて、八ケ年餘御住, 居有て、慶長五年に、石田治部少輔逆心、青野合戰終り、其年、家康公今度之合, 戰得勝利、仍山内對馬守忠言故なりとて、土佐國を御拜領にて、慶長五年十, 尾大に笑ひしかば、山内も同しく笑ひて歸りしといふ、これを古き人の評, 事如何にや思ふと問ふに、忠氏、われは、我が城に兵粮つけて内府へ參らせ、, 堀尾信濃守忠氏、いまだ年若けれども、才智あ, して、我が及ばぬ所を自ら知る事まづ難し、よき人見知る事尤も難し、善き, 起りて、徳川殿の御陣に召されし時、まづ堀尾が陣に往きて、此度の, 〔藩翰譜〕七上山内, ○慶長, 五年, ○上, 略, ○, 土佐國ヲ, 領ス, 我ヲ知リ, 又人ヲ知, 關ケ原役, 豐, ニ於ケル, 豐能ク, 慶長十年九月二十日, 五一六
割注
- ○慶長
- 五年
- ○上
- 略
- ○
頭注
- 土佐國ヲ
- 領ス
- 我ヲ知リ
- 又人ヲ知
- 關ケ原役
- 豐
- ニ於ケル
- 豐能ク
柱
- 慶長十年九月二十日
ノンブル
- 五一六
注記 (31)
- 1328,677,59,769于時寛文八年十一月廿日
- 1097,606,68,2215る人なりしかば、一豐常に親みて、家の事大小となく、此人と謀る、上方の軍
- 1444,605,68,1789二月下旬、御舍弟匠作公御入國、明る正月に一豐公御入國也、
- 508,614,72,2213きて一豐進み出て、堀尾が云ひし樣に申す、堀尾、山内打連れて歸る時、今日
- 741,611,72,2217人質をば吉田の城に入れて、自らは先陣して軍せんと思ふといふ、一豐此
- 621,607,75,2224義尤も然るべしと、同じく打連て參り、福島味方に參るべしと云ひしに、續
- 389,617,78,2218は一豐日頃の律儀に相違しければ、忠氏いふべき言葉もなかりしとて、堀
- 1796,602,68,2215天正二年に、小田原御開陣之節、直に遠江國掛川六萬石にて、八ケ年餘御住
- 1680,600,67,2214居有て、慶長五年に、石田治部少輔逆心、青野合戰終り、其年、家康公今度之合
- 1561,601,72,2211戰得勝利、仍山内對馬守忠言故なりとて、土佐國を御拜領にて、慶長五年十
- 271,612,80,2222尾大に笑ひしかば、山内も同しく笑ひて歸りしといふ、これを古き人の評
- 857,602,74,2237事如何にや思ふと問ふに、忠氏、われは、我が城に兵粮つけて内府へ參らせ、
- 1216,1460,66,1357堀尾信濃守忠氏、いまだ年若けれども、才智あ
- 158,626,74,2201して、我が及ばぬ所を自ら知る事まづ難し、よき人見知る事尤も難し、善き
- 979,823,70,1993起りて、徳川殿の御陣に召されし時、まづ堀尾が陣に往きて、此度の
- 1187,564,100,673〔藩翰譜〕七上山内
- 1003,615,43,185○慶長
- 961,617,39,108五年
- 1244,1333,41,108○上
- 1201,1330,42,40略
- 1245,1332,37,41○
- 1592,234,39,161土佐國ヲ
- 1547,234,40,74領ス
- 209,248,42,171我ヲ知リ
- 166,252,41,173又人ヲ知
- 1091,239,40,171關ケ原役
- 1003,261,41,64豐
- 1048,246,38,157ニ於ケル
- 255,274,42,141豐能ク
- 1910,667,44,382慶長十年九月二十日
- 1921,2392,42,122五一六







