『大日本史料』 12編 3 慶長十年三月~同十一年三月 p.516

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于時寛文八年十一月廿日, る人なりしかば、一豐常に親みて、家の事大小となく、此人と謀る、上方の軍, 二月下旬、御舍弟匠作公御入國、明る正月に一豐公御入國也、, きて一豐進み出て、堀尾が云ひし樣に申す、堀尾、山内打連れて歸る時、今日, 人質をば吉田の城に入れて、自らは先陣して軍せんと思ふといふ、一豐此, 義尤も然るべしと、同じく打連て參り、福島味方に參るべしと云ひしに、續, は一豐日頃の律儀に相違しければ、忠氏いふべき言葉もなかりしとて、堀, 天正二年に、小田原御開陣之節、直に遠江國掛川六萬石にて、八ケ年餘御住, 居有て、慶長五年に、石田治部少輔逆心、青野合戰終り、其年、家康公今度之合, 戰得勝利、仍山内對馬守忠言故なりとて、土佐國を御拜領にて、慶長五年十, 尾大に笑ひしかば、山内も同しく笑ひて歸りしといふ、これを古き人の評, 事如何にや思ふと問ふに、忠氏、われは、我が城に兵粮つけて内府へ參らせ、, 堀尾信濃守忠氏、いまだ年若けれども、才智あ, して、我が及ばぬ所を自ら知る事まづ難し、よき人見知る事尤も難し、善き, 起りて、徳川殿の御陣に召されし時、まづ堀尾が陣に往きて、此度の, 〔藩翰譜〕七上山内, ○慶長, 五年, ○上, 略, ○, 土佐國ヲ, 領ス, 我ヲ知リ, 又人ヲ知, 關ケ原役, 豐, ニ於ケル, 豐能ク, 慶長十年九月二十日, 五一六

割注

  • ○慶長
  • 五年
  • ○上

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  • 土佐國ヲ
  • 領ス
  • 我ヲ知リ
  • 又人ヲ知
  • 關ケ原役
  • ニ於ケル
  • 豐能ク

  • 慶長十年九月二十日

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  • 五一六

注記 (31)

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