『大日本史料』 12編 25 元和二年五月~同年是歳 p.19

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はず、よべ久能山に葬り奉り侍なと申せば、海師すゝみ出、御遺言はいづち, はんとの御心なり、しかあれば唯一にいはひ侍らん、なふりは御本意にた, の上にありしが、いざり出口利僧なれば、追悼の旨をのべて、御遺言にたが, うにとりなされ侍る、何事か御遺言にたがひ侍るやといひしに、御ゆいご, といひ、まし御哀傷の折から、かゝる事申出きるとがいとをもし、南光坊, 侍るとありしかば、亡君、豐國明神の近きためしを覺して、神にいはゝれ給, 仕し人〳〵に御對面ありけお、海師は左方の座上につき、崇傳は右方の座, がはんといえり、海師の給ふは、亡君あさ夕の御心には御ぞうの久しから, か、みれきへうさて侍るとありしかば、さては御まへにて、いははりを申や, ん事をふがひ給へり、彼神のぞうはまのあたり亡滅し侍れば、か〓をばい, をも習合をも、いかでか知らんと、問答數返なりしに、上野介まかり出、御前, きざ〓ば、せんかたなくておはせしに、つとめての日、大樹出給ひ、御病中に, んは、山王一實の習合の神道にこそ侍れ、夕部は宗源のぎしお乃よしきヽ, ませ給へり、しかおにかのあしき例を〓く事、當家をうれへおにや、汝宗源, 學し者と、心をあはせ、唯一の化義にて、久能におさめ奉り、海師をばよをつ, 天海秀忠, ノ面前二, テ崇傳ト, 爭フ, ムトノ説, 遺言ヲ矯, 元和二年五月三日, 一九

頭注

  • 天海秀忠
  • ノ面前二
  • テ崇傳ト
  • 爭フ
  • ムトノ説
  • 遺言ヲ矯

  • 元和二年五月三日

ノンブル

  • 一九

注記 (23)

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