『大日本史料』 12編 9 慶長十六年十一月~同十七年七月 p.337

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

の内ニ、其身專要之働と存候ケ條を書、兩人ニ相渡候、, 水鷄を被下候而, 御返し、興長、, 心を被附、京都よりも醫師御呼くたし、御懇日頃に増り申候由、或時、山鴫と, 長に家督可被仰付旨被命候、康之忝次第ニ奉存、盆田藏人、澤村大學を招き, と、被遊被下候、療養樣々手をつくし候へとも、本復を得かたく見へ候付、興, 三度拜領、御懇之上意とも度々有之、本多上野介殿奉書を以、御尋被成候、則, あたし世をさこそ恨めたらちおの別れはよその袖さへもうき, 佐渡守康之き、去冬より煩付、次第に差重候ニ付、度々御尋問、醫療等厚く御, 品被爲拜領、日頃御懇之事故、今度大病之樣子被聞召、萬病圓、牛黄清心圓、兩, 遺言いたし、忠興君に委細の遺書、并稻津肩衝を差上候、外に一世度々武功, おほ考なき惠みの玉のことのはにいとゝ袂の露そほしゑぬ, 伽をせぬ人のあたまを山鳴の骨折ものゝみをくゐなの弘, 家康公も、康之か多年之武功を被知召、兼而御書を被下、御脇差志津其外數, ○中略康之一代ノ武, 功覺書及ビ遺言状ヲ, 松井家譜二同〓, 載セタリ、下ノ〓, 醫師ヲ京, 都ヨリ招, 興長家督, 家康萬病, 圓牛黄清, 心圓ヲ賜, 追悼ノ歌, 細川忠興, ク, フ, 慶長十七年正月二十三日, 三三七, 慶長十七年正月二十三日

割注

  • ○中略康之一代ノ武
  • 功覺書及ビ遺言状ヲ
  • 松井家譜二同〓
  • 載セタリ、下ノ〓

頭注

  • 醫師ヲ京
  • 都ヨリ招
  • 興長家督
  • 家康萬病
  • 圓牛黄清
  • 心圓ヲ賜
  • 追悼ノ歌
  • 細川忠興

  • 慶長十七年正月二十三日

ノンブル

  • 三三七
  • 慶長十七年正月二十三日

注記 (31)

  • 694,678,68,1572の内ニ、其身專要之働と存候ケ條を書、兩人ニ相渡候、
  • 1275,662,58,491水鷄を被下候而
  • 1741,659,56,352御返し、興長、
  • 1393,665,72,2209心を被附、京都よりも醫師御呼くたし、御懇日頃に増り申候由、或時、山鴫と
  • 924,669,74,2211長に家督可被仰付旨被命候、康之忝次第ニ奉存、盆田藏人、澤村大學を招き
  • 1040,674,75,2207と、被遊被下候、療養樣々手をつくし候へとも、本復を得かたく見へ候付、興
  • 223,669,76,2211三度拜領、御懇之上意とも度々有之、本多上野介殿奉書を以、御尋被成候、則
  • 1866,738,60,1919あたし世をさこそ恨めたらちおの別れはよその袖さへもうき
  • 1507,661,75,2213佐渡守康之き、去冬より煩付、次第に差重候ニ付、度々御尋問、醫療等厚く御
  • 340,672,78,2217品被爲拜領、日頃御懇之事故、今度大病之樣子被聞召、萬病圓、牛黄清心圓、兩
  • 809,669,70,2213遺言いたし、忠興君に委細の遺書、并稻津肩衝を差上候、外に一世度々武功
  • 1631,745,62,1908おほ考なき惠みの玉のことのはにいとゝ袂の露そほしゑぬ
  • 1161,737,64,1923伽をせぬ人のあたまを山鳴の骨折ものゝみをくゐなの弘
  • 461,677,81,2199家康公も、康之か多年之武功を被知召、兼而御書を被下、御脇差志津其外數
  • 737,2263,44,609○中略康之一代ノ武
  • 692,2262,45,604功覺書及ビ遺言状ヲ
  • 560,675,42,454松井家譜二同〓
  • 611,672,54,473載セタリ、下ノ〓
  • 1438,293,40,171醫師ヲ京
  • 1393,296,38,170都ヨリ招
  • 926,299,40,170興長家督
  • 465,304,42,171家康萬病
  • 422,303,39,173圓牛黄清
  • 381,306,38,169心圓ヲ賜
  • 1840,291,41,169追悼ノ歌
  • 1884,293,42,167細川忠興
  • 1354,300,30,28
  • 342,308,28,30
  • 121,741,44,470慶長十七年正月二十三日
  • 142,2474,40,119三三七
  • 121,740,44,470慶長十七年正月二十三日

類似アイテム