『大日本史料』 10編 7 元亀2年10月~同年雑載 p.36

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之節、上杉方八萬三千の敵城へ、只八千の人數を以、夜撃に仕懸て、大勝利, 誰そ見申度とある者は、其蓋をひらを見申ことゝ有て、天正十八年、小田, 來より廣間の床に有來候は、唯今以其處こ差置候と奉申上候へは、權現, を得、天下の武士の譽事に致如なる名將乃氏康柱の義なれは、柱根くさ, 節、件乃柱をも取捨て候こ付、今程は無御座候、鈴木大學ら弓と申傳へ、古, 節太刀の餘り柱に切込有之候を大切に致し、其切込の上に蓋ヲいたし、, 殊外なる古家ニ而、柱根なともくさり、家もかたぬき候故、近比建直し候, りたるに於ては、根つきを申付、外の新敷柱共の中に、氏康柱の古きを壹, 八州を手に入候とあるは、氏康代に成りての義也、其上氏康いまた若年, 樣御聞被遊、小栗家の義氏綱之代迄は、伊豆相模只兩國計こて有之を、關, 原の城も御當家へ相渡候ニ付、件の柱をも、權現樣御覽被遊、其節小田原, 者には見さ候樣こと被仰候へは、相模守殿被承、氏康柱ノ立たる座敷は、, 大久保相模守殿を被爲召、氏康柱をいまた見さる者共も有べお間、望の, 本たて置とは不致して、大切なる氏康柱を取捨ルとあるは、大きなる不, をは、大久保加賀殿え被下置、其後御上京の砌、小田原城中に御旅宿の夜、, 元龜二年十月三日, 氏康柱, 三六

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  • 氏康柱

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注記 (18)

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