『大日本史料』 12編 9 慶長十六年十一月~同十七年七月 p.384

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いへとも、妻子大坂にあれは、いとまをたまはるの間、すみやかに上洛あ, あり、九月二十日、東照宮、大津城にうつらせたまふのとき、歸國の暇たま, はりて、仰ありけるは、因幡國をよひ伯耆半國の諸城をうけとり、國中を, るへしとなり、このとき、茲矩は、たゝ御摩下にありて、忠を盡さん事を存, らる、また、藤堂高虎、山岡道阿彌を御使として、諸將に命ありけるは、今度, 御陣にしたかひて、遠路下向のこと、滿足せらるゝところなり、しかりと, 坂の奉行等か、をくるところの書状を出して台覽に備ふ、かへしたまふ, 話の席に候せんことをこふて、これをゆるさる、ときに、茲矩懷中より、大, のとき、茲矩、その書をひきさきて、懷中に收む、これによつて、其赤心をし, 陣すること數日、あるとき、本多正純、成瀬正成等に屬して、おなしく御夜, 平均せよと、すなはち、援兵として、小出大和守吉政別所豐後守吉次、赤松, するのよし言上せしかは、その忠誠を感せらる、八月朔日、諸將とゝもに、, 先陣をうけたまはりて江戸を發し、のち關原にをいて合戰のとき、軍功, 左兵衞廣英三人を副らる、兩國平くのゝち、その賞として、因幡國高草郡, にをいて、二萬四千五百石の加恩あり、すへて三萬八千石を領す、, 慶長十七年正月二十六日, ○駿府, 記二十, 三八四

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  • ○駿府
  • 記二十

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  • 三八四

注記 (19)

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