『大日本史料』 12編 9 慶長十六年十一月~同十七年七月 p.545

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御母堂は菊亭殿へ歸へりたまふといふ, 御一人は、名は國子、菊亭中納言の簾中, 丹波守直經か妻となりたまふ、, 法名を眞容院寶屋受三大姉と云、寛永十九年壬午閏九月, を祐信院殿徳榮壽功大姉と號す、是より先菊亭大納言, 六日沒す、此御母は、純貞に同し, の女を娶りたまひて、, と説っ〓すを歳説ろ五ゝ, となりたまひ、御離別ありて、家臣有馬, 一人は富蘭君と申御一人は於松君と稱す、此御兩人は、甲州にて害し奉り、, 名を於比我志女といふ、正保二年乙酉七月二十九日沒す、法名, 御女子二人御出生あり、御, 藤原晴季, 卿, 子っへ使ら細六一次左さ, な〓ウり一知に記右と, 猶介ふ〓な子歳信手衞, 御靈公御末子は、菊亭氏御歸輿の後御出生ありしか、近衞家の御猶子とな, 一説に、菊亭殿, 後右大臣, 其子經季, の御母堂と云, 匠家藏經孝君よ, は、諸侯互に配偶の儀あるへつらす、, 丹波直經ろ子を、四, 其子季持、, 蓋、肥前の地侍、或は家臣なるへし、, 閏九月なる事、内, 子となり、僧となる事嘉, 今の隼人純, 郎左衞門純則と云、, 申女一人役使のため、井手左五右, 〓公譜末に詳つない, 陳ろ祖なり, り、右京亮殿へ〓らる御書に徴あり、經孝君未詳誰人蓋菊亭家なるへノ, 思はる、再按するに、經孝君者大炊御門左大臣なり、寛文の末、寛存公子其〓, に至る, 本名, 其時の奉行馬場彌次兵衞、さゝと, 草野, らす、信次記には、公の御女子御一人有馬備中に嫁せらると、詳かならす一, 書に、富蘭君九林田圖書介錯於松君七、山尾五左衞門直江彌大夫〓使た, 衞門荷宰領御道具の者太郎兵衞、萬兵衞仰付られ遣はされしと、信次, に見へたり、ふらん君六歳九數「林田圖書介錯し奉り、於松君四歳、〓〓, 直江彌大夫山尾五左衞門兩人にて介錯すと、舊記に見へたり、其子細を知, といふ、或曰富蘭於松二子は御男子なるへし、女子ならは、死に及ふへつら, 今案するに、此時分諸侯各其國に在て、今の世の如く、都下の住居に非され, といふある故其家に就て尋ぬれとも、其事を傳へさるよしにて、辨へ難し、, いと、此説も、又然るへっらすとも云難し、御室御所執達小幡伊勢介つ説に、, 御靈公御末子は、菊亭氏御歸輿の後、御, 慶長十七年三月二十一日, 五四五

割注

  • 一説に、菊亭殿
  • 後右大臣
  • 其子經季
  • の御母堂と云
  • 匠家藏經孝君よ
  • は、諸侯互に配偶の儀あるへつらす、
  • 丹波直經ろ子を、四
  • 其子季持、
  • 蓋、肥前の地侍、或は家臣なるへし、
  • 閏九月なる事、内
  • 子となり、僧となる事嘉
  • 今の隼人純
  • 郎左衞門純則と云、
  • 申女一人役使のため、井手左五右
  • 〓公譜末に詳つない
  • 陳ろ祖なり
  • り、右京亮殿へ〓らる御書に徴あり、經孝君未詳誰人蓋菊亭家なるへノ
  • 思はる、再按するに、經孝君者大炊御門左大臣なり、寛文の末、寛存公子其〓
  • に至る
  • 本名
  • 其時の奉行馬場彌次兵衞、さゝと
  • 草野
  • らす、信次記には、公の御女子御一人有馬備中に嫁せらると、詳かならす一
  • 書に、富蘭君九林田圖書介錯於松君七、山尾五左衞門直江彌大夫〓使た
  • 衞門荷宰領御道具の者太郎兵衞、萬兵衞仰付られ遣はされしと、信次
  • に見へたり、ふらん君六歳九數「林田圖書介錯し奉り、於松君四歳、〓〓
  • 直江彌大夫山尾五左衞門兩人にて介錯すと、舊記に見へたり、其子細を知
  • といふ、或曰富蘭於松二子は御男子なるへし、女子ならは、死に及ふへつら
  • 今案するに、此時分諸侯各其國に在て、今の世の如く、都下の住居に非され
  • といふある故其家に就て尋ぬれとも、其事を傳へさるよしにて、辨へ難し、
  • いと、此説も、又然るへっらすとも云難し、御室御所執達小幡伊勢介つ説に、
  • 御靈公御末子は、菊亭氏御歸輿の後、御

  • 慶長十七年三月二十一日

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  • 五四五

注記 (52)

  • 740,651,57,1211御母堂は菊亭殿へ歸へりたまふといふ
  • 1781,1739,60,1134御一人は、名は國子、菊亭中納言の簾中
  • 1666,1953,55,938丹波守直經か妻となりたまふ、
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  • 1086,646,58,1654を祐信院殿徳榮壽功大姉と號す、是より先菊亭大納言
  • 1317,1368,58,939六日沒す、此御母は、純貞に同し
  • 971,1014,56,641の女を娶りたまひて、
  • 258,2748,537,52と説っ〓すを歳説ろ五ゝ
  • 1669,658,56,1130となりたまひ、御離別ありて、家臣有馬
  • 852,668,61,2220一人は富蘭君と申御一人は於松君と稱す、此御兩人は、甲州にて害し奉り、
  • 1199,1011,59,1866名を於比我志女といふ、正保二年乙酉七月二十九日沒す、法名
  • 966,2100,59,776御女子二人御出生あり、御
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  • 972,649,56,54
  • 250,2678,550,50子っへ使ら細六一次左さ
  • 259,2822,544,49な〓ウり一知に記右と
  • 250,2604,559,53猶介ふ〓な子歳信手衞
  • 248,647,49,2233御靈公御末子は、菊亭氏御歸輿の後御出生ありしか、近衞家の御猶子とな
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  • 1114,2322,39,256後右大臣
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  • 525,664,50,2197直江彌大夫山尾五左衞門兩人にて介錯すと、舊記に見へたり、其子細を知
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  • 293,669,47,2205いと、此説も、又然るへっらすとも云難し、御室御所執達小幡伊勢介つ説に、
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