『大日本史料』 12編 9 慶長十六年十一月~同十七年七月 p.673

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者なりし、天正十九年, 我家にておはる樣に取計らはれしゆへ、よき人多く持れしと也, も、泪を流して、出かたきよしを申す、名主もせん方なく、我妻の衣服をかし, の女を差出すへしと云、彼下女は召抱てより後、終に髪をゆひたる事もな, く、人前に出すへき者にはあらすと申せとも、達て出すへしといふ、右の女, 旅宿とす、然るに、岡田、名主を呼て、汝か方に一子を連れたる下女在よし、右, 要とせられ、名高き浪人を、禮義を以て手前へ呼置、相應の手當して、一生を, 上は、彼一子を武士にせんと約すに依て、後妻として岡田か方へ嫁したる, 卿法印公深七代の孫金丸伊賀守藤次が玄孫なり、, 右民部忠直の嫡子利直、此兩代は、能き士を多く招き、常々武道の吟味を專, 周防守領地にて、其家臣岡田竹右衞門、所用ありて爰に來り、彼名主か宅を, を領せし、土屋昌恆の妻は、右の如く名主の方に勤め居たるに、此所は、松平, て著せ、出しけれは、岡田、後妻に呼取らんと望めとも、固辭して承引せす、此, 徳川殿、されはこそ、さる者の子なれ、家康に賜ひなんやと仰せ, 食邑を賜はり、久留利の城主として、二萬石, 〔藩翰譜〕六土屋民部少輔源忠直は、足利右馬頭泰氏の六男一色宮内, ニ入ルコト, ○慶長七, ○中略、父祖ノ事蹟、及ビ、, 家康放鷹ノ次ニ、清見寺, 二力ヽル、, 年ノ誤, ○下, 略, 忠直ノ母, 慶長十七年四月九日, 六七三

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  • ニ入ルコト
  • ○慶長七
  • ○中略、父祖ノ事蹟、及ビ、
  • 家康放鷹ノ次ニ、清見寺
  • 二力ヽル、
  • 年ノ誤
  • ○下

頭注

  • 忠直ノ母

  • 慶長十七年四月九日

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  • 六七三

注記 (27)

  • 1884,670,56,632者なりし、天正十九年
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