『大日本史料』 12編 9 慶長十六年十一月~同十七年七月 p.693

Loading…

要素

頭注ノンブル

OCR テキスト

咄なり、扨又、御傳來八幡大菩薩の御籏は、尋常之御合戰には、むさと御建不, 今水戸の御家に有之由、如何にて水戸に殘し候や、いふかしく候、此段水戸, を引、佐竹之二重釣と申候御系圖有之候、甚以謂なき事なり、新羅公樣は、常, 傳り候御家の御系圖に、加茂公樣と、新羅公樣と御兩公より、義業公樣え系, しかも物頭にて、歴々のよし、僧も久しく御城下の寺に住居致候而、無相達, 義光の兄加茂之次郎之蹟を續候由、小野崎越前守ヲ御使として、甲州へ被, 陸甲斐の大守に補せられ候也、御家ニ有之八幡大菩薩之御籏は、正しく新, 仰遣候へ者、扨は兄の御家なりとて、無事之御挨拶、越前守拜領物致、罷歸り, 竹之御家なれとも、信玄公名譽之大將ニ而、武威に誇り、我意を逞して、被仰, ゟ參候日蓮宗の出家の物語りにて候、此僧は、水戸の御家中に、兄弟分の士、, 遣候と相見得候、〓信公樣、曾而御とり合無、此方者、新羅の子孫ニ候得とも、, 公樣之御嫡子樣は、進士判官義業樣ニ而、御代々新羅之御家之御正統は、佐, 羅公樣より、御傳來と相見得申候、此外新羅公樣ゟ、御傳來之御團と御釆幣、, 候由申傳候、此段虚實は不存候へとも、ケ樣説に本たき候哉、古來御家中ニ, 無の甲冑も、武田え讓り得申候、佐竹者、二男家無疑と被仰越候、正しく義光, 薩ノ〓, 八幡大菩, 慶長十七年四月十九日, 六九三

頭注

  • 薩ノ〓
  • 八幡大菩

  • 慶長十七年四月十九日

ノンブル

  • 六九三

注記 (19)

  • 216,661,70,2215咄なり、扨又、御傳來八幡大菩薩の御籏は、尋常之御合戰には、むさと御建不
  • 569,656,68,2223今水戸の御家に有之由、如何にて水戸に殘し候や、いふかしく候、此段水戸
  • 923,657,68,2224を引、佐竹之二重釣と申候御系圖有之候、甚以謂なき事なり、新羅公樣は、常
  • 1037,648,69,2229傳り候御家の御系圖に、加茂公樣と、新羅公樣と御兩公より、義業公樣え系
  • 336,665,68,2215しかも物頭にて、歴々のよし、僧も久しく御城下の寺に住居致候而、無相達
  • 1393,648,68,2222義光の兄加茂之次郎之蹟を續候由、小野崎越前守ヲ御使として、甲州へ被
  • 804,656,68,2230陸甲斐の大守に補せられ候也、御家ニ有之八幡大菩薩之御籏は、正しく新
  • 1277,648,68,2221仰遣候へ者、扨は兄の御家なりとて、無事之御挨拶、越前守拜領物致、罷歸り
  • 1622,648,67,2226竹之御家なれとも、信玄公名譽之大將ニ而、武威に誇り、我意を逞して、被仰
  • 452,657,68,2231ゟ參候日蓮宗の出家の物語りにて候、此僧は、水戸の御家中に、兄弟分の士、
  • 1502,650,70,2237遣候と相見得候、〓信公樣、曾而御とり合無、此方者、新羅の子孫ニ候得とも、
  • 1739,648,69,2222公樣之御嫡子樣は、進士判官義業樣ニ而、御代々新羅之御家之御正統は、佐
  • 685,657,70,2235羅公樣より、御傳來と相見得申候、此外新羅公樣ゟ、御傳來之御團と御釆幣、
  • 1159,651,69,2211候由申傳候、此段虚實は不存候へとも、ケ樣説に本たき候哉、古來御家中ニ
  • 1858,649,65,2215無の甲冑も、武田え讓り得申候、佐竹者、二男家無疑と被仰越候、正しく義光
  • 195,292,42,128薩ノ〓
  • 239,297,42,169八幡大菩
  • 111,732,45,423慶長十七年四月十九日
  • 122,2469,44,120六九三

類似アイテム