『保古飛呂比』 保古飛呂比 2 元治1年~慶応3年 p.337

Loading…

要素

ノンブル

OCR テキスト

之迚、持參し呉れたり、是れは矢張醫師久米養惠の長子以惠なる者、江戸より留守へ送り來りたる由、, も時勢聊か見へ、亦過激家も餘程注意する事にて、大に望あるを樂みたれ共、種々樣々の事情あり、, 猜疑甚敷、免角門地家等は、勤王論の盛に成、若し誤り候時は、山内家の行末は如何哉、遂に滅亡に, 至るも難計と、又は輕格徒士以下の跋扈に至らん事を恐れ、夫れを惡み候との二樣にあり、又過激家, 做して、所謂自分は不偏不黨と信ずれ共、右之如き景況にて、困難の地に立ちたりしも、此頃は政府, はあれ共、亦時に乘し事を成さんと巧める人もあり、門地家も因循して、家身を思ふ人もある可し、, て、毎日診察に來り、内々傳言等には都合宜敷事也、細川養碩より、病中、西洋事情を、未だ世に無, 今日の時勢には、政府も饑えたる時なれば、程能く相運び候樣注意肝要と考へて、心配せるに、自分, 政府及門地家は、何分薩の奸策、長の暴論と云ふは念頭を離れず、故に吾が勤王家も暴論を成さず、, 分共天幕の御一和を計り、内亂無之樣に致し、外國へは條理を以對し候儀を御配慮也、殊に山内家は、, 共は、是迄政府及門地家よりは、過激の輕格徒士等也に加坦すと疑ひ、又過激勤王家は、因循家と見, 右樣の有樣にて双方共實に容堂公の御趣意には相背き候と見えたり、其譯は、容堂公の思召は、何, は、一途に佐幕家・門地家よりの、年來輕〓を受けたると二樣にありて、其中に双方共眞に憂國の人, 以惠は福澤塾に居りたる由、, 徳川家には御恩義も厚き事故、相成候丈ケ御盡し彼爲遊候思召にて、其上幕府も朝廷へ奉對不可言御, 卷十五慶應二年, 三四〇

  • 卷十五慶應二年

ノンブル

  • 三四〇

注記 (17)

  • 1674,471,64,2411之迚、持參し呉れたり、是れは矢張醫師久米養惠の長子以惠なる者、江戸より留守へ送り來りたる由、
  • 1011,475,65,2401も時勢聊か見へ、亦過激家も餘程注意する事にて、大に望あるを樂みたれ共、種々樣々の事情あり、
  • 899,467,66,2431猜疑甚敷、免角門地家等は、勤王論の盛に成、若し誤り候時は、山内家の行末は如何哉、遂に滅亡に
  • 791,472,65,2432至るも難計と、又は輕格徒士以下の跋扈に至らん事を恐れ、夫れを惡み候との二樣にあり、又過激家
  • 1122,468,67,2433做して、所謂自分は不偏不黨と信ずれ共、右之如き景況にて、困難の地に立ちたりしも、此頃は政府
  • 569,478,66,2398はあれ共、亦時に乘し事を成さんと巧める人もあり、門地家も因循して、家身を思ふ人もある可し、
  • 1786,470,63,2420て、毎日診察に來り、内々傳言等には都合宜敷事也、細川養碩より、病中、西洋事情を、未だ世に無
  • 1342,473,65,2427今日の時勢には、政府も饑えたる時なれば、程能く相運び候樣注意肝要と考へて、心配せるに、自分
  • 1454,473,63,2397政府及門地家は、何分薩の奸策、長の暴論と云ふは念頭を離れず、故に吾が勤王家も暴論を成さず、
  • 348,477,67,2423分共天幕の御一和を計り、内亂無之樣に致し、外國へは條理を以對し候儀を御配慮也、殊に山内家は、
  • 1231,469,65,2430共は、是迄政府及門地家よりは、過激の輕格徒士等也に加坦すと疑ひ、又過激勤王家は、因循家と見
  • 459,479,67,2428右樣の有樣にて双方共實に容堂公の御趣意には相背き候と見えたり、其譯は、容堂公の思召は、何
  • 680,482,65,2424は、一途に佐幕家・門地家よりの、年來輕〓を受けたると二樣にありて、其中に双方共眞に憂國の人
  • 1563,470,56,657以惠は福澤塾に居りたる由、
  • 238,485,68,2419徳川家には御恩義も厚き事故、相成候丈ケ御盡し彼爲遊候思召にて、其上幕府も朝廷へ奉對不可言御
  • 1897,717,44,472卷十五慶應二年
  • 1905,2514,43,123三四〇

類似アイテム