『大日本史料』 12編 9 慶長十六年十一月~同十七年七月 p.997

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以か女, いたる、このとし、吉統、秋田實季にめし預きらるゝといへとも、義乘にを, 運カ姉ナリ、高麗陣ノ時、義乘上意ニ依テ渡海シ、御父御改易ノ時、加藤主計, 武藏國牛込の内にして三百石の釆地を賜ひ、すへ〓三千三百石を知行, し、牢人衆ニ列す、慶長五年、上杉景勝御征伐に、台徳院殿に供奉し、小山に, 義親母は紹運か女、父か家を繼、台徳院殿ににかへ豈てまつよ、元和五年, 義統公ノ御公達、御兩所マシマス、嫡ハ大友惣五郎義述公ト號、秀吉公ヨリ, 豐臣姓ヲ賜リ、羽柴侍從義乘ト云、母ハ吉弘石見守鎭信カ女ニテ、加兵衞統, いては、もとの〓く近侍し壹てまつ〓、十七年七月十二日死す、年三十六, 照宮〓つからせたまひ、後奉仕し、常陸國筑波郡のうちにをいて、三千石, 法名眞〓、妻は高橋鎭種入道紹運か女、, 八月八日死す、年二十七、法名玄昌、嗣なくし〓家たゆ、妻は今川左馬助範, 豐陽志〕大友義統公御上達之事、, 義乘母き吉弘氏、文禄二年、父吉統、領國をの数の〓ゝのとき、義乘をは、東, ○譜牒餘録後編所收, 大友家由緒異事ナシ, 女子畠山外記親元か妻、, 元和五年, 八月八日, 大友氏絶, 義親, 牢人衆, 歴, 義乘ノ履, 死ス, 慶長十七年七月十二日, 九九七

割注

  • ○譜牒餘録後編所收
  • 大友家由緒異事ナシ
  • 女子畠山外記親元か妻、

頭注

  • 元和五年
  • 八月八日
  • 大友氏絶
  • 義親
  • 牢人衆
  • 義乘ノ履
  • 死ス

  • 慶長十七年七月十二日

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  • 九九七

注記 (27)

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