『大日本史料』 12編 3 慶長十年三月~同十一年三月 p.365

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むねを台聽に達す、よりて一命を助けられ、秋田城介實季に召預らる, 義乘母は吉弘氏、文祿二年、父吉統領國をのそかるゝのとき、義乘をは、東, 日豐後國速見郡立石村に至る、このころ、細川忠興か木付の城代、松井佐, 夜、城中にあるところの人質等、己か小屋に火を放ちてのかれ歸る、こゝ, 渡康之、速見郡の農民の人質を、城中に捕へをきけるか、かの郡の農民等, にをいて、黒田如水、援兵をひきお來り、康之を具して立石にはせむかひ, 吉統かもとに馳集り、歎き訴ふるにより、吉統やむことを得すして、これ, を許容し、翌日、家臣を使とし、彼農民等數百人とゝもに、木付城にいたら, しめ、其質をかへし與ん事を請もとむれとも、城中敢てうけかはす、その, 吉統と戰をましふ、吉統、つゐにかなはすして和をこひ、如水か居城中津, 照宮あつからせたまひ、後奉仕し、常陸國筑波郡のうちにをいて三千石, 輝元、をのれにくみせん事を〓に促すにより、僞りてこれに應し、九月九, 武藏國牛込のうちにして三百石の〓地を賜ひ、すへて三千三百石を知, にいたり、關東に對し、ふたこゝろなきよしを、なけき申けれは、如水、その, ハ、慶長十巳年七月十九日死、四十八歳トアリ、, 書、吉統ノ事蹟ヲシルスコト是二止マル、略譜二, 本, 〇, 大友義乘, 慶長十年七月十九日, 三六五

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  • ハ、慶長十巳年七月十九日死、四十八歳トアリ、
  • 書、吉統ノ事蹟ヲシルスコト是二止マル、略譜二

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  • 大友義乘

  • 慶長十年七月十九日

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  • 三六五

注記 (21)

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