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天正十五年, 与り申來旨あり、家臣評一決しそ、立花城に入る事を約し〓和談に及、下, と聞く、兄立花統虎、家臣十時攝津を使として申遣すむ〓ありそ、家臣等と, 年七月廿七日、岩屋落城の砌、寶滿山の城にあり、紹運生害以後、島津兩大將, 入、敵將大津山出羽守、兵を出しそ討とめむとするを、統虎兩勢切崩し付ケ, 入り、城を攻敗て、出羽守を當手に討捕る、同十月二日、殿下より賜感状、肥後, 國過半平く、こゝにおゐて、和仁邊春へ押行、殘敵をとりかこむ、十二月十日、, 押籠る、舊臣等はかつそ、法花寺をのかれ出さむとす、事ならすしそ止む、以, とおれしく出陣、有動城に兵粮入の砌、下知をなして、敵兵數多討捕、兵粮を, 後敵氣を察して薩州に移し、下堂院といふ所に置、統増時に十五歳、, 印、筑後の三池一郡を領す、, 城するの所、島津約を變して、家臣らとともに、肥後國八代高津加法花寺に, 國中一〓發り、所々楯籠る、依そ、九月七日、殿下より御内書到來、兄立花統虎, 同年秋、肥後, 夏に至て、豐臣殿下の武徳にきりなまき、島津兵勢壹ゆみぬ, ともに、下堂院より迎歸、同六月廿五日、殿下より、父紹運武功を稱し、賜御朱, 殿下与り賜御書、, シ、文祿四年、内山村ニ移ルトアリ、, ○寛政重修諸家譜ニ、同郡江浦ニ仕, 亥, 丁, 池郡ヲ與, 秀吉直次, ニ肥後三, 二幽閉セ, 氏ノタメ, 肥後ノ一, 揆ヲ平グ, 直次島津, ラル, フ, 慶長十八年正月二十九日, 七四二
割注
- シ、文祿四年、内山村ニ移ルトアリ、
- ○寛政重修諸家譜ニ、同郡江浦ニ仕
- 亥
- 丁
頭注
- 池郡ヲ與
- 秀吉直次
- ニ肥後三
- 二幽閉セ
- 氏ノタメ
- 肥後ノ一
- 揆ヲ平グ
- 直次島津
- ラル
- フ
柱
- 慶長十八年正月二十九日
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- 七四二
注記 (33)
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