『大日本史料』 12編 20 元和元年五月 p.224

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てうを給ひたりき、, 御郡中, りしやうにして、四人の侍も皆〳〵改名してあり、そのゝち直森か妹の京, して、菊丸式部とのちには申をし也、のちには又伊集院式部と名のられた, や、島津の家人伊集院式部といふもの、菊丸殿を薩摩國へむかへて養子と, 〔狩川大堰由來記〕, にあるを、忍ひて都へゆきて相くし下りて、自齋殿の妾として、女子一人男, 絶をし時、その家老の者城付の金一万兩、自齋殿へわたしけり、やかて細川, 妾として、その腹に後の四郎右衞門は生れたり、又そのゝちいろなる故に, 大庄屋立事, 此國を賜な、そののち細川か侍ニて有吉四郎右衞門、彼お辰殿をむかへて, 門といふ、島原陣の時に功名ありて、小笠原信濃守にめしつかはる、これす, へゆく、今も平田とて、それか子孫薩摩國にあり、彈正か姉子は平田權左衞, り、かの茨木は平田と改號してありしか、それか二男菊丸殿につきて薩州, 子一人出來たり、あ手君はお辰殿、弟君は菊丸殿といふ、肥後守忠廣か家斷, なはち今の半藏か祖父也、直森も末森と改號しき、自齋殿には八十餘歳に, 取上駿河守家親、大坂陣の時、庄内ゟ千歩に大庄屋一人つゝ、乘鞍御免にて, ○大泉叢志, 田川村, 十七所收, ○羽前, 男子薩摩, 集院式部, ト稱ス, 秀頼肥後, ニ下リ伊, ニ遁ル, 秀頼男, 女ヲ儲, 元和元年五月八日, 二二四

割注

  • ○大泉叢志
  • 田川村
  • 十七所收
  • ○羽前

頭注

  • 男子薩摩
  • 集院式部
  • ト稱ス
  • 秀頼肥後
  • ニ下リ伊
  • ニ遁ル
  • 秀頼男
  • 女ヲ儲

  • 元和元年五月八日

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  • 二二四

注記 (31)

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