Loading…
要素
割注頭注ノンブル
OCR テキスト
てうを給ひたりき、, 御郡中, りしやうにして、四人の侍も皆〳〵改名してあり、そのゝち直森か妹の京, して、菊丸式部とのちには申をし也、のちには又伊集院式部と名のられた, や、島津の家人伊集院式部といふもの、菊丸殿を薩摩國へむかへて養子と, 〔狩川大堰由來記〕, にあるを、忍ひて都へゆきて相くし下りて、自齋殿の妾として、女子一人男, 絶をし時、その家老の者城付の金一万兩、自齋殿へわたしけり、やかて細川, 妾として、その腹に後の四郎右衞門は生れたり、又そのゝちいろなる故に, 大庄屋立事, 此國を賜な、そののち細川か侍ニて有吉四郎右衞門、彼お辰殿をむかへて, 門といふ、島原陣の時に功名ありて、小笠原信濃守にめしつかはる、これす, へゆく、今も平田とて、それか子孫薩摩國にあり、彈正か姉子は平田權左衞, り、かの茨木は平田と改號してありしか、それか二男菊丸殿につきて薩州, 子一人出來たり、あ手君はお辰殿、弟君は菊丸殿といふ、肥後守忠廣か家斷, なはち今の半藏か祖父也、直森も末森と改號しき、自齋殿には八十餘歳に, 取上駿河守家親、大坂陣の時、庄内ゟ千歩に大庄屋一人つゝ、乘鞍御免にて, ○大泉叢志, 田川村, 十七所收, ○羽前, 男子薩摩, 集院式部, ト稱ス, 秀頼肥後, ニ下リ伊, ニ遁ル, 秀頼男, 女ヲ儲, 元和元年五月八日, 二二四
割注
- ○大泉叢志
- 田川村
- 十七所收
- ○羽前
頭注
- 男子薩摩
- 集院式部
- ト稱ス
- 秀頼肥後
- ニ下リ伊
- ニ遁ル
- 秀頼男
- 女ヲ儲
柱
- 元和元年五月八日
ノンブル
- 二二四
注記 (31)
- 395,624,54,573てうを給ひたりき、
- 279,1635,54,201御郡中
- 1804,608,58,2229りしやうにして、四人の侍も皆〳〵改名してあり、そのゝち直森か妹の京
- 980,617,62,2222して、菊丸式部とのちには申をし也、のちには又伊集院式部と名のられた
- 1095,618,64,2221や、島津の家人伊集院式部といふもの、菊丸殿を薩摩國へむかへて養子と
- 254,577,100,573〔狩川大堰由來記〕
- 1687,616,58,2225にあるを、忍ひて都へゆきて相くし下りて、自齋殿の妾として、女子一人男
- 1449,610,63,2226絶をし時、その家老の者城付の金一万兩、自齋殿へわたしけり、やかて細川
- 1215,610,61,2231妾として、その腹に後の四郎右衞門は生れたり、又そのゝちいろなる故に
- 282,2066,58,344大庄屋立事
- 1331,611,62,2219此國を賜な、そののち細川か侍ニて有吉四郎右衞門、彼お辰殿をむかへて
- 629,617,58,2217門といふ、島原陣の時に功名ありて、小笠原信濃守にめしつかはる、これす
- 747,630,60,2215へゆく、今も平田とて、それか子孫薩摩國にあり、彈正か姉子は平田權左衞
- 863,615,62,2225り、かの茨木は平田と改號してありしか、それか二男菊丸殿につきて薩州
- 1569,608,61,2228子一人出來たり、あ手君はお辰殿、弟君は菊丸殿といふ、肥後守忠廣か家斷
- 512,621,60,2220なはち今の半藏か祖父也、直森も末森と改號しき、自齋殿には八十餘歳に
- 158,619,68,2214取上駿河守家親、大坂陣の時、庄内ゟ千歩に大庄屋一人つゝ、乘鞍御免にて
- 307,1210,44,324○大泉叢志
- 267,1862,38,179田川村
- 262,1209,41,249十七所收
- 312,1863,41,179○羽前
- 1137,243,42,175男子薩摩
- 1048,243,44,174集院式部
- 1007,250,37,114ト稱ス
- 183,252,43,174秀頼肥後
- 1094,257,41,155ニ下リ伊
- 138,260,41,108ニ遁ル
- 1726,240,43,172秀頼男
- 1683,263,42,150女ヲ儲
- 1916,677,45,337元和元年五月八日
- 1923,2417,42,119二二四







