『大日本史料』 12編 7 慶長十五年閏二月~同十六年三月 p.1003

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に傳ふ、十月二日、豐臣太閤書を義久にあたへて、大友との戰爭をやむへ, 山の僧興山及ひ安國寺惠瓊等、義久をすゝめて和好をはかる、義久これ, 書をあたへらる、この年、義久兵をつかはし、大友義統を討て大にこれに, て筑紫を征伐す、四月六日、先陣羽柴秀長兵二十萬に將として、日向國に, 閤に救を請、十五年三月、太閤、義統を援はんとて、みつから大軍をひきゐ, きよしを諭さる、十四年十二月四日、義昭より、太閤と和平すへきよしの, 康次の太刀一振、鞍一口を贈らる、十三年四月二十四日、守護職を弟義弘, ら佩刀二腰を解て義久に授く、九日、太閤また判物をあたへていはく、我, にしたかふ、二十五日、太閤薩摩國高城郡水引にいたり、太平寺に陣す、五, 勝、たゝちに豐後國府内に討入、義統かなはすして豐前國龍王に走り、太, 月六日、義久鹿兒島を發し、八日水引にをいて太閤に〓見す、太閤みつか, をしきたる、義久兵を備へ、これをむかへて防戰す、ときに一色昭秀高野, 四日、義昭また書をたまはりて、義久か力をかり歸洛せむことをこはれ、, 月二十四日肥前國高來郡森岳にをいて合戰し、終に隆信をうち取、九月, これかために破らる、義久、弟中務大輔家久をつかはして晴信を救ふ、三, 慶長十六年正月二十一日, 久防戰ス, ニ入ル義, 媾和, 秀吉ニ〓, 秀吉日向, 龍造寺隆, 信ヲ伐ツ, ヲ援ケテ, 有馬晴信, ○○三

頭注

  • 久防戰ス
  • ニ入ル義
  • 媾和
  • 秀吉ニ〓
  • 秀吉日向
  • 龍造寺隆
  • 信ヲ伐ツ
  • ヲ援ケテ
  • 有馬晴信

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  • ○○三

注記 (26)

  • 1480,704,80,2143に傳ふ、十月二日、豐臣太閤書を義久にあたへて、大友との戰爭をやむへ
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