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石田三成隱謀を企て、伏見穩ならす、これにより東照宮の御館に候して、, のよしきこえけれは、大野より兵を發して攝津國にいたり、豐臣太閤に, 島の宅に宿らせたまふのときも、從ひたてまつりてこれを守衞し、其餘, 文禄元年朝鮮征伐のときも、太閤に從て肥前國名護屋に陣す、慶長四年, 意をかうふる、十九年陸奧國九戸一揆のときは、豐臣秀次に從て出陣す、, しく太閤の幕下に屬し、十二年太閤、織田信雄と小牧山にをいて對陣の, とき、内窪山の砦を守り、十四年、太閤より飛騨一國を宛行はれ、三萬八千, 屬し、山崎にをいて相戰ひ、光秀遂に滅亡す、其のち剃髮して兵部卿法印, 日夜忠志をつくし、前田利家か邸に渡御ありて、其夜藤堂高虎か大坂中, の大將として發向す、六月、明智光秀京都本能寺にをいて、右府を〓する, とき、太閤陣營にまねきて、其功を賞す、東照宮も御對座ありて、賞譽の上, く、十八年小田原陣のとき、軍功を勵し、家臣等多く首級を得たり、落城の, 七百石餘を領し、高山城に住す、のち島津義久を征伐のときも、彼地に赴, にあらたむ、十一年太閤、柴田勝家と合戰にをよふのとき、男可重とおな, しは〳〵軍忠をつくす、十年、右府、武田勝頼を征するのとき、長近飛騨口, 慶長十三年八月十二日, 兵部卿法, 一圓ヲ賜, 秀吉飛騨, 印, 慶長十三年八月十二日, 七二七
頭注
- 兵部卿法
- 一圓ヲ賜
- 秀吉飛騨
- 印
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- 慶長十三年八月十二日
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- 七二七
注記 (22)
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