『大日本史料』 12編 6 慶長十四年正月~同十五年二月 p.377

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應せす、其子細を尋むかため、太閤の命をうけたまはりてかの地にいた, をあらためて岡野と稱す、, し、唯願はくは急きわか首を刎らるへしといふ、太閤、其言葉のいさきよ, て軍士を向らる、修理大夫某其罪を謝す、このとき融成多賀谷か不參の, す、慶長五年、上杉景勝を御征伐のときしたかひたてまつり、七月二十四, 志を感し、死罪をゆるす、今より我につかへて忠をいたすへしとて、持と, 過料として、黄金千枚出すへきむねを約し、馳かへりて其由を太閤に達, ころの繩をなけあたふ、これより太閤の〓下に屬し、其命により、板部岡, はつかしめさるものにして、忠義のいたり、勇士の道をつくせり、われ其, く、義氣のたゆまさるを感し、少しく顏色をやはらけ、汝か罪至て重し、則, 京都にをくり、三條河原に磔すへきものなれとも、すてにかゝる身とな, りて我前にきたり、いさゝか憚事なく、其言をほしいまゝにす、實に主を, 名護屋陣のとき、常陸國下妻の領主多賀谷修理大夫某、病と稱して召に, る、このとき東照宮よりも、井伊兵部少輔直政、榊原式部大輔康政等をし, は、何そ我主に從ハすして、敵に與すへけむや、此外別にいふへきものな, 文禄元年、, 慶長十四年六月三日, ○略譜ニハ、秀吉ノ命二ヨリ岡ト改, メ、後チ家康、岡野ト政メシムトアリ、, 言ヲ感ジ, テ罪ヲ赦, 秀吉ソノ, 融成秀吉, ニ屬ス, ス, 三七七, 目

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  • ○略譜ニハ、秀吉ノ命二ヨリ岡ト改
  • メ、後チ家康、岡野ト政メシムトアリ、

頭注

  • 言ヲ感ジ
  • テ罪ヲ赦
  • 秀吉ソノ
  • 融成秀吉
  • ニ屬ス

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  • 三七七

注記 (27)

  • 753,723,63,2148應せす、其子細を尋むかため、太閤の命をうけたまはりてかの地にいた
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