『大日本史料』 12編 2 慶長九年三月~同十年二月 p.56

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船路の便よけれは、これにしくへからすとて、彼城を獻す、人みなその公, のそみて、太閤の先隊に建、敵の氣を奪ひ、味方の勇をすすむるの一策と, 城に火をかけて自害す、太閤三木城を取て居城にせむとす、孝高かいは, く、この地は播磨の邊鄙なり、孝高か居城姫路は、國の中央にして、しかも, 嶽において合戰あり、孝高、太閤にしたかひて、敵數多をうちとる、十月二, 正を感せり、これより、同國飾東郡國府山城に住す、九月朔日、太閤、播磨國, 相從ひ、備中國に入て、所々の城をせめ、同國高松城において、孝高謀をめ, 來らむもはかりかたしとて、堰とめたる河水を切流し、後殿してかの地, 揖東郡のうち、一万石の地をあたへらる、十年、太閤毛利輝元をせむるに, いて、明智光秀、右府を弑するのよし告來りしかは、太閤をすゝめて、輝元, くらし、河水を堰とめて城中を浸し、つゐにこれを降す、ときに京師にお, と和談せしめ、光秀誅伐として高松を發するに及ひ、もし毛利の兵慕ひ, す、光秀誅に伏して後、太閤柴田勝家と矛楯におよひ、十一年、近江國志津, を發向す、このとき孝高、毛利及ひ宇喜多家の旗數十本をかりうけ、戰に, 日、揖東郡の内にして千石を加へらる、十二年七月十八日、同國宍粟郡を, 慶長九年三月二十日, 如水國府, 獻ズ, 高松攻ニ, 山城ニ居, 如水姫路, ヲ秀吉二, 於ケル如, 水ノ畫策, 志津嶽ノ, 戰, 五六

頭注

  • 如水國府
  • 獻ズ
  • 高松攻ニ
  • 山城ニ居
  • 如水姫路
  • ヲ秀吉二
  • 於ケル如
  • 水ノ畫策
  • 志津嶽ノ

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  • 五六

注記 (27)

  • 1561,738,81,2141船路の便よけれは、これにしくへからすとて、彼城を獻す、人みなその公
  • 498,742,76,2132のそみて、太閤の先隊に建、敵の氣を奪ひ、味方の勇をすすむるの一策と
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  • 1683,739,76,2137く、この地は播磨の邊鄙なり、孝高か居城姫路は、國の中央にして、しかも
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