『大日本史料』 12編 6 慶長十四年正月~同十五年二月 p.326

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したかひ、七月、大政所病あるをもつて歸洛あり、高次名護屋の陣營を守, いて二萬八千石を領す、十九年、弟修理亮高知に五千石をあたへ、朽木兵, 部少輔宣綱とゝもに、高次か與力とさためられ、高知をして八幡山に居, 十四日、歸陣のゝち、高島郡大溝にをいて加恩あり、一萬石を領す、十六年, 某か楯籠る豐前國馬嶽の要害を攻とり、高次をして城代とせらる、七月, られ、十五年三月、太閤筑紫に發向あるに從ひ、二十九日、長野三郎左衞門, 文祿元年、朝鮮征伐として、太閤肥前國名護屋に發向あるにより、これに, らしむ、四月十一日、太閤朝鮮を征伐せられむかために、西の京にをいて、, 十八年、小田原陣に扈從し、關東平均のゝち加増あり、近江國八幡山にを, 犬追物を興行あり、高次これをうけたまはりて其射手を撰ふ、氏族をよ, 四月十四日、聚樂第の行幸に、騎馬にて供奉す、このとき從四位下に昇る、, の役をつとむ、四年、近江國滋賀郡にをいて六萬石を領し、大津城に住す、, る、二年五月二十三日、名護屋にをいて、太閤明使に對面のとき、高次配膳, ひ近江の諸士これをつとめ、内檢見き石田三成、外檢見は小西行長たり、, この年少將に任せられ、慶長元年、從三位參議に敍任す、三年八月、太閤他, 慶長十四年五月三日, 城代, 射手ヲ撰, 豐前馬嶽, 犬追物ニ, 大津城ニ, 住ス, プ, 三二六

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  • 城代
  • 射手ヲ撰
  • 豐前馬嶽
  • 犬追物ニ
  • 大津城ニ
  • 住ス

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  • 三二六

注記 (24)

  • 501,706,59,2154したかひ、七月、大政所病あるをもつて歸洛あり、高次名護屋の陣營を守
  • 1201,707,62,2150いて二萬八千石を領す、十九年、弟修理亮高知に五千石をあたへ、朽木兵
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