『大日本史料』 12編 2 慶長九年三月~同十年二月 p.60

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はせ、中川修理大夫秀成を御味方となし、太田飛騨守一吉等も、おの〳〵, この時島津兵庫頭義弘、關原敗軍のゝち、大阪より薩摩國にかへらむと, 同國速見、立石にいたらむとす、, て、大船にとりのり落行しを、番船を馳て追うち、敵船二艘をのりとる、こ, をうけて、所領を失ひしか、三成等にいさなはれて、西海に旗を揚むとて, 押よせて、これをくたし、たゝちに小倉城にいたるの處、勝信もまた降參, す、それより筑後國にうち入、小早川秀包か家臣等か守れる、久留米城を, れによりて、九州なかはき靡きしたかふ、其後、豐前國に歸るといへとも、, 國におもむき、高田の領主竹中源助重利を、御味方に屬せしめ、それより, 降參して城を渡す、こゝにおいて、番船を海邊に繋きて、これを守らしむ、, 豐後におし渡るのよしをきゝ、九月九日、すみやかに中津川を發し、豐後, 居城にいらすして廣津に陣し、毛利勝信か家臣等か籠れる、香春嶽城に, をうちとる、これより、まつ義統を亡し、のち、この兩城をも攻落さむとて、, 富來、安喜の城下をすくるとき、城兵打て出しか、一戰におよひ、敵若干, 其餘、加藤清正と牒しあ, うけとり、弟圖書助直之をして守らしめ、同國柳川城にむかふ、時に立花, 慶長九年三月二十日, ○立石攻ノ事中, 略ス、其本條アリ, 清正ト謀, 如水加藤, リテ九州, ヲ經略ス, 六〇

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  • ○立石攻ノ事中
  • 略ス、其本條アリ

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  • 清正ト謀
  • 如水加藤
  • リテ九州
  • ヲ經略ス

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  • 六〇

注記 (24)

  • 1099,714,65,2113はせ、中川修理大夫秀成を御味方となし、太田飛騨守一吉等も、おの〳〵
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