『大日本史料』 12編 9 慶長十六年十一月~同十七年七月 p.1007

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る、こはのとき、仰あり〓るは、もし我軍破れは、この城に入て一戰を遂へし、, よもの六七人にをよふ、このとを、信成か手にうちとな處の首七級を濱, に火をはれち、青田を苅第引退く、このとき、敵なを追來なにより、ぬたゝ, ひ軍を旋し、敵を風呂澤に追いれ、切所に伏勢をまう〓て、兵をおさむ、十, た國安にのかれ來な、信成等、か手て待まう〓壹よか故に、兵を率ゐ〓、こは, 三河先方の兵を率ゐて、天目山にいたらんとす、ときに北條の兵、橋を落, 二日、同國黒駒にをい〓合戰のとき、小田原勢のをさへとして、松平玄蕃, と〳〵くこれを討取といへとも、敵もまた能戰ふか故に、家臣等討死す, 允清宗と共に、仰をかう秀りて、東郡大野の砦を守よ、とをに北條左衞門, 松に獻す、十年、東照宮、甲斐國に御打入のとき、八月、信成仰をかう〓り、東, し第通路を遮るにより、騎馬のもの、皆歩行立になり挑み戰ひ、根小屋, 軍功をあらはす、十二年、長久手の役に、台命により〓、清洲城の本丸を守, 歩卒をひきねて接戰し、巳の刻より未の刻にいたり、三十餘級を討とり、, 大夫氏勝、三笠より黒駒に來り、放火して進み戰ふ、信成、衆にさき童ちて、, より、國安におもむく、九年三月二十二日の夜、彼城陷り、果し第城兵ああ, 慶長十七年七月二十四日, 役清洲城, 甲州攻ニ, 長久手ノ, 於ケル働, ヲ守ル, 慶長十七年七月二十四日, 一〇〇七

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  • 役清洲城
  • 甲州攻ニ
  • 長久手ノ
  • 於ケル働
  • ヲ守ル

  • 慶長十七年七月二十四日

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  • 一〇〇七

注記 (23)

  • 301,667,57,2154る、こはのとき、仰あり〓るは、もし我軍破れは、この城に入て一戰を遂へし、
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