『大日本史料』 12編 10 慶長十七年八月~同十八年二月 p.167

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ものすくれし、すあにして、諸軍篠曲輪に攻入にをよひ、長茂は士卒百人, 計を率ゐ、井伊直政に續〓馳向ひ、味方をはじまし、溝を穿ちて水をおと, を著せしかせ之、戰場にをいず、長鬚あるひは朱具足とめのれしとれり、八, やかにかしこに行す、指揮す▲きむ手仰あり、長茂みつから士卒にさき, をちず、仕寄をほく、諸軍みれこれにしたかひしかき、寄手疵をかうふよ, 照宮、井樓より御覽ありて、御氣色よから、屋ろ〓長茂をめけれ、汝すみ, 長五年、上杉景勝御征伐のとき、おほせをうけたヌはり、牧野康成か居城, 月、關東にいらせ〓たふ乃とき、ぬたゝひ御〓下〓士にめし加へられ、下, 上野國大胡城を守衞す、六年十月、東照宮伏見より、江戸にかへらせたま, 野國足利、上野國山田、勢多三郡のうちにをいて、釆地三千石を壹あふ、慶, を得たり、こ芫こと上聞に達し、御感をかうぬな、長茂鬚長く、常に朱具足, し、俄に舟板をもつ〓、橋をわたせしかは、諸軍、をやすく城中に乘いよ事, ふのとき、伏見乃城番として、か乃地にとゝめらよ、こ〓年、加恩ありて、上, 多し、六月、小田原城篠曲輪乃仕寄にをい〓、味方の兵死傷多かりしを、東, にありしか、すみ〓ろにはせむかひ、敵の逃なゝ路をさへきりて、斬獲頗, 慶長十七年十月二十二日, 長茂ノ働, 小田原役, 二於ケル, 伏見城番, 一六七

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  • 長茂ノ働
  • 小田原役
  • 二於ケル
  • 伏見城番

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  • 一六七

注記 (21)

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