『大日本史料』 12編 10 慶長十七年八月~同十八年二月 p.210

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は、多くの金錢を準備するのみにて可なるべし、然らば、支那人は其地の商, るべし、壺灣は支那を距る二十五哩許に過ぎず、支那人を臺灣に招かんに, トガル人と競爭して、カントン河に商館を開くを可とせり、然れども、ポル, トガル人は、支那皇帝に、莫大の租税を納め居るを以て、之を排斥せんこと, 設する際には、日本より極めて少額の費用を以て、人夫を得ること容易な, に於て貿易を開くことについては、艦隊司令官ワルワイク、及びマテリエ, を收めんこと、イスパニヤ人が、マニラに於けるが如くなるべし、又、城を建, フが、大に盡力せしことあれども、好結果を奏せざりき、マテリエフはポル, は、頗る困難なるが故に、臺灣島に一城を設けなば、支那貿易によりて利盆, し、故に、毎年右の商品を日本に送りて、既に日本商舘の設立費贈饋俸給等, 我等に取りては、支那の貿易を開き得るにあらざれば、利盆多からず、支那, 品を携へ、蟻集して此の金を持ち去らんとつとむるならん、これ日本に於, 〓證書に見ゆる如く被害大なれば、到底利盆を收むる能はず, 日本にては、年々、胡椒二三千袋、丁子五百擔、及び肉豆〓約百擔を消費すべ, に費しゝ金額の囘收を計られんことを請ふ、オランダの製造品は、別紙の, 慶長十七年十月二十九日, ○中, 略, 蘭人ノ臺, 企圖, 丁子肉豆, 入ノ胡椒, 灣占領ノ, 日本へ輸, 〓, 慶長十七年十月二十九日, 二一〇

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  • ○中

頭注

  • 蘭人ノ臺
  • 企圖
  • 丁子肉豆
  • 入ノ胡椒
  • 灣占領ノ
  • 日本へ輸

  • 慶長十七年十月二十九日

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  • 二一〇

注記 (27)

  • 297,648,69,2213は、多くの金錢を準備するのみにて可なるべし、然らば、支那人は其地の商
  • 414,643,67,2214るべし、壺灣は支那を距る二十五哩許に過ぎず、支那人を臺灣に招かんに
  • 1004,647,62,2195トガル人と競爭して、カントン河に商館を開くを可とせり、然れども、ポル
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  • 648,643,70,2218を收めんこと、イスパニヤ人が、マニラに於けるが如くなるべし、又、城を建
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