『大日本史料』 12編 10 慶長十七年八月~同十八年二月 p.699

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身も六文目の〓砲を持て、書院の棟に打跨り、豐後來らは搏取んと待懸た, 持の男、兩足投出し、打仰て、髭をぬき居たりしか、右京其前へ來れとも、出し, り、豐後も、右京か大手の振廻、聞とむとしく下城して、人數を揃へ、右京か屋, か兩足斬落し、登城はせすして引返し、急き馬に打乘り、己か屋敷に馳歸り、, を召す、右京も豐後か方靜りたる由聞く、登城しけれは、右京、平生豐後に對, 豐後程なく寄來るへきそ、其用意せよとて、與力の士五十騎、足輕貳百人に、, 敷に押寄んと鬪きたり、此由國清公聞し召、急き御使を以て、先豐後を召、今, たる足をひかんともさす、人もなけにて有にれは、右京怒り、刀を拔、其儘彼, に對し堪忍有へし、其方遺恨なき樣に申付へしと仰有て、推留置れ、扨右京, 自分の人數を加へ、屋敷の四方へ透間なく配り、〓砲をは、皆屋根へ上ケ、自, 日右京か仕形、其方立腹は尤なり、去なから、只今推寄鬪撃に及はん事は、我, 或時右京、姫路に登城さんとて、大手にて、馬より下り、歩行しはるに、豐後鑓, 方の家隸も不通ニて、互に己か主の勢を恃み、何事も仕負しと爭ひ合たり、, 仕置を掌り、威勢肩をならふる者なし、豐後、右京と常に不和なりけれは、双, し、過分の振廻共有と聞しめされ、剩今日の卒忽、言語同斷也、當家に在る事, 慶長十八年正月二十五日, 慶長十八年正月二十五日, 六九九

  • 慶長十八年正月二十五日

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  • 六九九

注記 (18)

  • 920,625,59,2227身も六文目の〓砲を持て、書院の棟に打跨り、豐後來らは搏取んと待懸た
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