Loading…
要素
割注頭注ノンブル
OCR テキスト
又見性公き、天正の初、御家にきをり給ひ、法秀公, き事なれと、人のかたりしまゝを記し置ぬ、, 給ひけるか、いつの頃の事にや、江州長濱に御在城の時、唐織の卷物類のき, の御侍女た, もまたすくなからすといふへし、公逝去し給ひて後、慶長十一丙午年、京都, とへに御智勇の勝れ給ふ故とはいひなから、見性公の御たすけによる事, へ行かせ給ふへきよしなるを、修理亮康豐君留させ給ふといへとも、許容, とならせ給ふ事とも多かりし、公あまたのたゝかひに功を顯し給ふ事、ひ, れをあつめさせられ、ぬひ合せ給ひて小袖にし給ふ事あり、御手きはのよ, ひて、京都桑原町の御やしきをしつらはせられ、六月十三日都へ移らせ給, し給はて、三月七日土州をたゝせ給ふ、甲浦まて、山内内記、山内將監、山内勘, き事、人の目をおとろかしけれは、御親しき方々より、大通公に進め給ひて, 又かきかはし給ふ御筆のすさみも、豈ち縫はせ給ふ御わさも、いとよくし, 解由御供にて送り奉る、此所より船にのらせられ、伏見の邸へまつ著せ給, りしを、後大通公御妻室とし給ふともいへり、此説より所もなく、いふかし, ふ、元和三丁已年十二月四日、御年六十一にて御遠行なり、, 父盛豐)御夫人, 法性公(一豐, 一豐卒後, 京都ニ移, 夫人ノ内, 夫人卒去, 夫人ノ素, テノ一説, 夫人ノ藝, 能, 生ニツキ, 助, 慶長十年九月二十日, 五三二
割注
- 父盛豐)御夫人
- 法性公(一豐
頭注
- 一豐卒後
- 京都ニ移
- 夫人ノ内
- 夫人卒去
- 夫人ノ素
- テノ一説
- 夫人ノ藝
- 能
- 生ニツキ
- 助
柱
- 慶長十年九月二十日
ノンブル
- 五三二
注記 (30)
- 887,636,64,1428又見性公き、天正の初、御家にきをり給ひ、法秀公
- 649,635,62,1286き事なれと、人のかたりしまゝを記し置ぬ、
- 416,631,69,2225給ひけるか、いつの頃の事にや、江州長濱に御在城の時、唐織の卷物類のき
- 898,2515,54,330の御侍女た
- 1593,629,61,2220もまたすくなからすといふへし、公逝去し給ひて後、慶長十一丙午年、京都
- 1704,629,65,2217とへに御智勇の勝れ給ふ故とはいひなから、見性公の御たすけによる事
- 1471,642,65,2203へ行かせ給ふへきよしなるを、修理亮康豐君留させ給ふといへとも、許容
- 1823,627,62,2215とならせ給ふ事とも多かりし、公あまたのたゝかひに功を顯し給ふ事、ひ
- 301,639,65,2207れをあつめさせられ、ぬひ合せ給ひて小袖にし給ふ事あり、御手きはのよ
- 1122,637,65,2218ひて、京都桑原町の御やしきをしつらはせられ、六月十三日都へ移らせ給
- 1354,630,66,2221し給はて、三月七日土州をたゝせ給ふ、甲浦まて、山内内記、山内將監、山内勘
- 182,642,66,2218き事、人の目をおとろかしけれは、御親しき方々より、大通公に進め給ひて
- 532,633,65,2214又かきかはし給ふ御筆のすさみも、豈ち縫はせ給ふ御わさも、いとよくし
- 1237,627,67,2223解由御供にて送り奉る、此所より船にのらせられ、伏見の邸へまつ著せ給
- 771,631,63,2222りしを、後大通公御妻室とし給ふともいへり、此説より所もなく、いふかし
- 1006,637,62,1722ふ、元和三丁已年十二月四日、御年六十一にて御遠行なり、
- 880,2084,44,405父盛豐)御夫人
- 926,2086,40,359法性公(一豐
- 1514,277,41,157一豐卒後
- 1469,260,44,174京都ニ移
- 1735,261,41,169夫人ノ内
- 1008,265,42,168夫人卒去
- 822,267,45,171夫人ノ素
- 736,269,42,166テノ一説
- 557,269,44,172夫人ノ藝
- 513,268,41,39能
- 779,267,38,168生ニツキ
- 1694,262,40,37助
- 1937,698,44,381慶長十年九月二十日
- 1945,2429,43,121五三二







