『大日本史料』 12編 10 慶長十七年八月~同十八年二月 p.744

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城と聞て、手鎌村の磯に押來て、在々に亂入したるを、即刻下知をなして、貳, て、宗茂と數刻密談の上、引かへし、江浦城に入、以後肥前國より、江浦城あき, の貳十壹度, 久多松といふ所にて拜見すといへとも、不及是非御受不申上、こゝにおい, 百餘人一人も不遁討捕、關原軍敗〓、宗茂、柳川籠城の所、加藤清正、就舊交和, 談調、宗茂下知に依而、江浦下城して、同しく清正の陣え參陣、清正舊情を〓, 慶長二年, 多海中に切入れ無難引退、歸朝、伊集院源次郎、島津に對し居城に籠る之砌, く、出勢之所、宗茂、宗一兄弟、東照宮より賜御書、御味方可仕の旨被仰下、船中, す、宗一船のやかたに登ず下知をなすの所、矢に中て船中に落つ、人々あは, 同三年, やとかけより〓みるに、うらかゝされはとて、再のほつす下知をなし、敵數, 東照宮与り賜御書、, 石田治部少輔、豐臣家の命稱し、軍勢を催促す、よりて立花宗茂と同し, 五, 十一月、朝鮮在陣の諸將と同、陣を引拂、敵兵船を出して討止むと, 〓春、立花宗茂と同しく、再朝鮮國渡海、加徳城を守, 慶長十八年正月二十九日, 名御書を下, さる」トアリ、, 十八日、東照宮より、彼(伊集院源次郎久直)を征すへぎむ, ○慶長四年ノコトニ係ル、寛政重修諸家譜ニハ「八月二, 戌, 庚, 子, 戈, 酉, 慶長十八年正月二十九日, 七四四

割注

  • 名御書を下
  • さる」トアリ、
  • 十八日、東照宮より、彼(伊集院源次郎久直)を征すへぎむ
  • ○慶長四年ノコトニ係ル、寛政重修諸家譜ニハ「八月二

  • 慶長十八年正月二十九日

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  • 七四四

注記 (29)

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