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に似とりといへとも、台命を背く屋をにあらす、御臺所御座を移さこん, らす、時に台徳院殿乃御臺所も伏見におはしますにより、榊原式部大輔, 歸朝す、乃ち井伊兵部少輔直政及む圓光寺長老元佶をもつて、東照宮に, 仕へ奉らん事を言上し、又御座を伏見城にうつさこん〓をいさめ奉〓、, 城を請取、あるむは立花左近將監宗茂かこもれる柳川城をせめて、敵あ, 茂肥前國にあり、亂平くの後、嫡子勝茂と共に筑後國に軍を出し、久留米, 餘兩御所より御書を賜ふ事しはしはれり、十二年致仕し、元和四年六月, づた討とりしかは、十一月六日、その功感し思召のよし、御書を下さる、其, 康政を御使として、直茂か宅に移し參らす〓し、よく守り奉るへきのよ, このよし聞しめし、御感あり、此時に及む、石田三成等謀を搆へ、京師靜な, 三日、佐嘉にをいて卒す、年八十一、日峯宗智高傳寺と號す、本庄村乃高傳, し仰下らる、直茂御旨をうけとまはり、今ほと在京の家人すくれり、卒爾, にをいては、つゝしんて守護し奉るへき旨言上せしかは、又御感を蒙多、, 寺に葬な、これ直茂かかつ〓開基せしところれり、室は石井兵部少輔忠, 然れとも京師事故なつりしかは、さ乃事に及はす、五年、關原の役には、直, 元和四年六月三日, 柳川城ヲ, ヲ請取リ, 久留米城, 攻ム, 關原戰後, 高傳寺ニ, 家康ニ仕, 葬ル, 三九四
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- 柳川城ヲ
- ヲ請取リ
- 久留米城
- 攻ム
- 關原戰後
- 高傳寺ニ
- 家康ニ仕
- 葬ル
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- 三九四
注記 (25)
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