『大日本史料』 12編 13 慶長十八年九月~同十九年四月 p.91

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勝は、松坂井城にありて、兵をわかちてこれを援く、二十三日より、毛利秀, て、ぬたゝも城中に引入、二十六日、信高籠城かなひかたきを察し、矢文を, 放ちて和をこひ、終に城を避て落髮し、高野山に走る、關原凱旋のゝち、信, 自由ならしむ〓しとの仰をかうぬり、分部左京亮光嘉とゝもに、その日, りす、伊勢國に赴く、ときに洋中にをいて、九鬼大隅守嘉隆か敗船、信高か, らき、〓出して敵中にはせいり、奮戰して五百餘人を討取敵を追はらひ, 船に鉤をうちかけ乘とらんと次、信高、嘉隆とは舊友のよしみあよをの, 元、長束正家等、大軍を率ゐて攻る事急なり、二十四日、信高、光嘉、防戰すと, 野は、要害よからすと〓、津の城に來り、城乃東門を守る、古田兵部少輔重, いへとも、光嘉創を被り、且衆寡敵をす、終に一二〓丸を敗られ、詰の城に, 引退きく、これを守る、二十五日、敵詰の城をかこみ攻、信高城戸をおしむ, らけなときき、上方の手遣自由ならし、信高急き本國に歸り、渡海乃往來, 小山を發し、池田三左衞門輝政か居城、三河國吉田にいたり、船百艘をか, へて、漸虎口をまぬのれ、本國に歸り、津〓城に籠る、分部光嘉き、其居城上, 地に陣す、ときに、三成叛逆乃きこ〓あり、八月朔日、伊勢國の渡海やすか, 慶長十八年十月二十四日, 城ヲ固守, 役安濃津, 關ケ原ノ, 城ヲ致シ, テ高野山, 九一

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  • 城ヲ固守
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  • 九一

注記 (22)

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